にわか考古学ファンの独り言(縄文時代)

 縄文人の狩猟と漁撈

 縄文時代の人びとのなりわい(食料獲得の技術)を考えるとき、植物採取が最も重要なことはいうまでもありませんが、貴重な動物性たんぱく質を得るためには、狩猟や漁撈が行われていたことは間違いありません。ここでは、狩猟の技術と漁撈の技術について述べたいと思います。

 狩猟の技術

 縄文時代の狩猟技術の特徴として、弓矢の使用、猟犬の飼育、落し穴猟(罠猟)の盛行、鳥猟の定着などが挙げられます。ヤギュウやオオツノジカのような大型絶滅動物を対象とした旧石器時代から大きく様変わりした、新しい狩猟システムが確立されました。

 縄文時代の最も一般的な狩猟具は弓矢であり、出土遺物として石鏃が普通にみられます。縄文時代の弓はすべて、木の枝を削って作られた丸木弓です。素材には主にニシキギ属・イヌガイなどの樹種が選択されました。矢柄の出土例は少ないですが、北海道ユカンボシE11遺跡で消失住居跡の床から石鏃の付いた矢柄が出土しています。長さ50㎝、直径7~8mmほどの短い木製の矢柄で、材質はノリウツギと推定されています。

 弓矢の普及は、二ホンジカ・イノシシ・ノウサギなどの中小の動物が狩猟対象になったことによる技術的対応といえます。また、狩猟組織や活動季節の変化にも関係していたと考えられます。千葉県取掛西貝塚では、早期初期の竪穴住居跡に堆積した貝塚からガン・カモ類などの鳥類の骨が多数出土しています。渡り鳥や水鳥を対象にした漁がおこなわれていたことを示していますが、こうした猟でも弓矢はその効力を発揮したことと思います。

 イヌの飼育も主な目的は猟犬と考えられ、狩猟法と狩猟組織の変容を物語っています。イヌが大切に飼われていたことは埋葬例の多さからも読み取れます。千葉県白井大宮台貝塚SKO1では、成人男性とイヌが合葬されイノシシの幼獣が添えられていました。狩猟者たる男性とイヌとの関係の深さを示す例であります。

 落し穴猟は後期旧石器時代にも発掘例がありますが、縄文時代に著しく発達しました。これは、定住化にともなう土地利用や狩猟行動の変化を示しています。細長い溝型や楕円形の落とし穴は草創期からみられます。早期・前期の関東地方では丘陵斜面や尾根上に多数の落とし穴を構築するやり方が盛行し、複数の落とし穴を列状に配置した仕掛け方も特徴的であります。落し穴猟の変遷を検討した佐藤宏之によると、獣道などの沿って落とし穴を仕掛ける待ち伏せタイプの罠猟が主であった早期・前期から、誘導柵などを併用したより効果的な猟が発達する中期へと、猟法の変化が見られます(佐藤宏之1989)。

 漁撈の技術

 漁撈活動をおこなうには魚の生態に関する知識と漁法の知識が必要です。縄文時代の漁撈技術の幅広さは、その多様な遺構・遺物に表れています。

 河川に設置された定置式の罠として漁撈柵の発掘例があります。北海道石狩紅葉山49遺跡では、河川を横切るように設置された長さ5~10mほどの杭列と細い枝をブドウ蔓で編んだ漁撈柵が多数出土しています。アイヌがサケ・マスの捕獲に用いたテシと同様の誘導柵と推定されます。また岩手県シダナイ遺跡でも、杭を立て並べて作った囲いの中に魚を誘導する魞が発掘されています。産卵のために季節的に河川を遡上するサケ・マス類や逆に下流に下るアユの捕獲には、こうした漁撈柵による漁法が特に効果的であったと思われます。

 漁具は種類が豊富であり、形態・製作技術・漁法の研究が進められています(渡辺誠1973、金子・忍沢1986)。骨格製の漁具として、単式釣り針・結合式釣り針・ヤス・固定銛・離島銛・貝おこしなどがあります。東北地方三陸海岸貝塚遺跡では骨格製漁具が特に豊富です。骨角器以外では、石製または土製の漁網錘、龍製の筌などがあります。

 石川県真脇遺跡の前期末の遺物抱合層では、大量のイルカ骨が密集して発掘されています。能都湾でのイルカ猟が縄文時代からおこなわれていたことを示すものであり、多くの丸木舟を漕ぎ出して組織的におこなう漁が想定できます。また、高度な技術と経験を必要とする特殊な猟漁として、回転式離島銛を用いた海獣猟やマグロ漁が東北地方と北海道沿岸でおこなわれていました。北海道の貝塚遺跡からは、アザラシ・トド・オットセイなどの海獣類がよく出土します。

 漁撈活動に関する研究で注目されるのは、生業圏が具体的に把握された事例であります。福井県鳥浜貝塚(前期)出土の漁具類は、遺跡の近くの三方湖および鰣川・高瀬川で獲得できる淡水種と気水腫が主体であり、半径10km圏に含まれる若狭湾産の魚貝類は少ないです。このことから日常的な生業テリトリーは半径10km圏よりも狭いと推定されています(西田正1980)。また、愛知県渥美半島西部に位置する井川津貝塚(晩期)では古環境と漁場の推定が行われ、主な魚貝の漁場が遺跡から1~2㎞の近距離にあり、カロリー量全体の90~95%がそのゾーンで獲得可能であったと推定されています(樋泉1993)。このように比較的狭い生業テリトリーからも、縄文人の漁撈技術の高さと生態学的知識の深さがうかがえます。

(参考文献)

谷口康浩「縄文人の生態」「入門縄文時代の考古学』同成社、2019年