にわか考古学ファンの独り言(弥生時代)

 弥生時代早期前半(前10世紀後半~前9世紀中ごろ)

 水田稲作の始まり③

 利器は石器だけ

 杭や農具などの木製品を作る道具は石器であります。鉄の道具が使われるようになるのは、最も早い九州北部でもそれから600年後まで待たなければなりません。石器の中心は大陸系磨製石器とよばれる朝鮮半島南部の系譜を引いた石斧類であります。

 まず伐採ですが、木を切り倒したり、大きく割ったりする石斧が太形蛤刃石斧と呼ばれる重く厚い石斧であります。刃の部分を横からみるとハマグリを横から見た形に似ている点に名の由来があります。重くすることで気に深く食い込ませ、厚くすることで木から抜きやすくしています。刃先の線が柄の主軸とほぼ並行するように取り付けられているので縦斧とよばれています。金太郎さんが持っているまさかりをイメージしてもらえばよいと思われます。

 次に分割ですが、大型蛤刃石斧で一定の長さに切断した原木は、用途によってさらに加工されます。丸木のまま利用する杭などは先端を尖らせて用います。矢板などの板材を作ったり木器を加工したりする場合には、原木を縦方向に分割して芯を抜いた後、板材に加工していきます。縦斧で割れ目を入れ、くさびを打ち込み、割れ目に薄い縦斧を入れて、丸木をミカンを割るように、2分の1、4分の1、8分の1と分割していきます。

 整形ですが、材の表面を平滑に整える道具が柱状片刃石斧や扁平片刃石斧と呼ばれる大陸系磨製石器であります。柄に対して刃の線を直行して取り付けるので横斧と呼ばれています。石斧は片刃の部分を使用者側に向けて、柄の握りと斧をくくりつける台が鋭角になった部分に装着します。横からみると膝を曲げたように見えるので膝柄と呼んでいます。

 農具に関してですが、大陸系磨製石器で作られた木製農具のうちもっとも古いのが、橋本一丁田遺跡や福岡市雀居遺跡で出土しています。前者は同じ場所から出土した方形浅鉢の年代からみて前10世紀後半であることが確実な木製農具であります。クワは平面の形が長楕円形で、使い手側に内刳りをもっています。前3世紀までの約700年間にわたって使い続けられた形です。クワ以外にもスコップのような使い方をするスキや、水田の表面をかきならして平坦にするエブリなどが出土しています。スキは1本の木から作り出されたものです。農具の器種分化はまだ少ないですが、基本的なセットは当初からそろっていたことがわかります。

 橋本一丁田遺跡の水田稲作民は、石器だけで大量の杭の加工を行ったことになります。私たち現代人からみれば、なんと大変だったことだろうとついつい思いがちですが、鉄器をもとも知らないのだから石器で加工するしかない、というか、それが普通だったのです。ともかく、水田稲作の始めは石器だけで行われていました。