にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

 旧石器人はどんな顔?

 もし旧石器人に会いたくなったら?

 手っ取り早く上野の国立科学博物館に行くことです。旧石器人がにこやかに出迎えてくれます。この人物こそ、後期旧石器時時代人類の研究で欠かすことのできないおよそ2万年前の港川人、沖縄本島八重瀬町港川の採石場から発見されたホモ・サピエンスです。

 人類学者の馬場悠男博士が出土人骨をもとに、まるで生きているかのようにリアルに復元した港川人の男性は、身長153㎝ほど、肩幅は狭く上半身は華奢、逆に下半身はたくましく、手足は頑丈なようです。顔は、細長い今の私たちと比べ高さが低いようです。骨をレントゲンで写すと、病気や成長阻害によるハリス線という痕跡がみられ、生活が厳しいものであったことがうかがえます。

 同じ沖縄県那覇市の山下町洞穴からは、3万6000年前の子どもの骨が見つかり、日本最古の人骨です。いっしょに敲石や礫器などの石器といわれる資料が出土し、生活の様子を彷彿とさせます。このほか沖縄では、宮古島ピンザアブ洞穴人(約3万年前)や久米島の下地原洞穴人(1万8000年前)など貴重な旧石器人類の発見があります。

 これに対し、九州・四国・本州・北海道での旧石器人骨の発見例は、確実なものでは静岡県浜北の事例のみです。浜北の下層人骨が2万1000年前、上層人骨が1万7000年前の年代が出ており、下層はナイフ形石器が使われた頃、上層は細石器刃が使われた頃の人類ということになります。断片的な人骨で、残念ながらその顔つきはわかりません。

 かつては教科書にも載った明石人骨(兵庫県)や、葛生人骨(栃木県)、三ケ日人骨(静岡県)、聖嶽人骨(大分県)は、いずれも旧石器人骨とされてきましたが、形態学的研究などによって今日では1万年前以降の新しい人骨とみられています。

 今後も本州を中心とした地域での旧石器人骨の発見には困難が伴いますが、石灰岩地帯での積極的な調査がなされることで、発見の可能性が残されています。

 旧石器人骨に対し、縄文人骨の発見例は数多くあります。その中には、ミトコンドリアDNAが抽出された縄文人骨が50個体以上あり、そのルーツをさぐる分子人類学の研究がなされています。列島にいた旧石器人を駆逐し、縄文人が他の地域から入ってきたとは考えづらく、旧石器人が縄文人になったと考えるほうが自然なので、縄文人ミトコンドリアDNAの系譜をたどれば、旧石器人がどこから来たのかの手がかりが得られるかもしれません。

 かつて縄文人のルーツは東南アジアにあるともされましたが、ミトコンドリアDNAをたどると朝鮮・中国・シベリアに縄文人と同様な遺伝子をもつ集団が多くいるとの見解が出されています。考古学や人類学などの最新の成果から目が離せません。

(参考文献)

堤隆「最古の居住者の素顔」『旧石器時代ガイドブック』新泉社2009年