にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

 環状キャンプ

 旧跡時代の暮らしというと、二、三家族が寄り添うようにテントを張って、ひそやかに生活していたかのようなイメージがあります。ところが、そうした小集団からなる旧跡時代の集落像を見直さなければならない発見が相次ぐようになりました。「環状ブロック群」などと呼ばれる石器分布の発見です。

 栃木県佐野市上林遺跡から発見された一点の石器は、やがて3540点にまで増えて連なりをみせ、50×80mという巨大な環状の石器分布へと広がりました。この環状ブロック群は、石器を作ったり、使ったりした旧石器人が環状キャンプを設けていた証しだと考えられています。

 上林遺跡の楕円形の石器分布には、西側では遺跡近くの石材がみられ、東側の半円では信州和田峠の黒曜石をはじめとする遠隔地の石材が持ち込まれていました。調査にあたった出居博さんは対照的なその分布状況から、このキャンプは、近傍をテリトリーとする集団と遠方の集団が向かい合い、物資や情報の交換など相互の交流をはかった場で、そこには50人から、100人もの人びとが集まっていたと推測しています。

 環状ブロック群が最初に発見されたのは、1983年、群馬県赤城山南麓の下触牛伏遺跡の発掘調査でした。以後、環状ブロック群は北海道から九州まで100ヵ所近くが発見されています。そしていずれも後期旧石器時代の初めにあたる3万年前以前のものであることが特徴です。そして3万年前を過ぎると、こつ然と姿を消してしまいます。

 長野県野尻湖に近い日向林B遺跡からも直径30mの環状ブロック群が見つかり、総数9000点の石器が出土しました。石器の中には、後期旧石器時代初頭を特徴付ける石斧60点が残されていました。環状ブロック群は台形様石器や局部磨製石斧とセットになって存在していることが重要な点です。 

 なぜ人びとが環状キャンプに集ったのかは大きな謎です。ひとつには、ナウマンゾウの湖として有名な野尻湖周辺でも環状キャンプがいくつかみつかっていることから、ナウマンゾウなど大型獣を狩猟するために集結した狩りのムラだとする「大型獣狩猟説」があります。また、石器や石材の交換のために集ったという「石器交換説」、集団がまとまって外部から身を守ったといういわば「保安説」もあります。石材など資源開発のための集結、情報交換や食料の分配などがなされた可能性もあるでしょう。複合的な要因も考えられます。

 諸説は決着をみていませんが、いずれにせよ人びとが円陣を組んで集結する行為により、その絆が再確認され、連帯感を高めたことは疑いありません。サークルをなす集団原理が後期旧石器時代初頭から働いていたことは、社会進化を考える上できわめて重要です。

(参考文献)

堤隆「環状キャンプに集う」『旧跡時代ガイドブック』新泉社2009年