にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

 遊動生活

 旧石器時代のライフスタイルの基本は移動することで、「遊動」ともいわれています。縄文時代以降のように、耐久性のある竪穴住居を構えて通年居住をせず、広範囲の遊動生活を繰り返していたとみられています。

 1万カ所を超すという日本列島の旧石器時代遺跡において、確実な住居跡と考えられるものの発見例は田名向原遺跡を筆頭に10例に満たないのですが、裏返せばこのことは、あまり立派な住居を構えず、すぐに家をたたんで遊動していたことを証明しているのでしょう。

 おそらく、近くにある細い木を円錐形に組んで、草や皮などで覆いをかけるテント式の住居を創造していいかもしれません。今日の例でいうと、シベリアのエベンク人のチュームと呼ばれるテントやイヌイットの皮張りのテントと同様なものを想定することが可能です。

 長野県和田峠の黒曜石が、東京や埼玉・神奈川の武蔵野台地相模野台地の旧石器遺跡からたくさん発見されています。たとえば、こうした黒曜石が人びとの手に携えられて直接運ばれたと考えると、旧石器時代の人びとは長野と南関東という100キロを超える地域を遊動していたことになります。

 むろん人の手から人の手へリレー式に黒曜石が渡った可能性もありますので、単純に黒曜石の広がりを、人びとの遊動エリアと置き換えてしまうことには問題が残ります。 

 相模野台地のある藤沢市用田鳥居前遺跡の石器と綾瀬市吉岡遺跡群B地区の石器が、2キロの距離を隔てて接合したことから、その関連性が証明され、両遺跡が遊動生活のプロセスを示すものであることがわかりました。しかし、それ以上のどれだけの距離を人びとが遊動していたのかの照明には至っていません。

 ちなみに、先史狩猟民の日常の食料調達領域は、半径10キロ・徒歩2時間以内とする試算があります。また、アフリカの狩猟民セントラル・ブッシュマンの行動領域は半径50キロで、年間移動距離は平均300キロに達するという報告があります。ソリなどの移動手段をもつ北のトナカイ狩猟民もっと長距離を遊動しているようです。

 離合集散という言葉がありますが、この時代には集団がまとまってキャンプをしたり、分散して行動するような居住スタイルをとっていたとみられます。後期旧石器時代初頭の大きな環状キャンプなどは、集合時の様子をあらわしているのでしょう。

 相模野台地の海老名市柏ケ谷長ヲサ遺跡では、石器ブロックが横並びに100mにわたって続いていました。このことは、帯状に延々と連なるキャンプが同時に設けられたことを示しているのではなく、何度も同じ場所に回帰してキャンプを設け、残したゴミなどを避けるためか以前とは微妙にテントの位置をずらした様子を示すものと考えられます。

(参考文献)

堤隆「遊動生活」『旧跡時代ガイドブック』新泉社2009年