にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

 旧石器時代の人びとと現代

 氷期の日本列島を生き抜いた旧石器人は、万という時を隔てた遠い人類だったのでしょうか。決してそうではありません。彼らはホモ・サピエンスという私たち自身でもあるからです。今生き残っている唯一の人類である私たちホモ・サピエンスは、「現生人類」とか「現代人」などといわれますが、「現代人的行動」をなすことが大きな特徴です。その大きな要素のひとつが「象徴的思考」です。

 静岡県富士石遺跡、ここから発掘されたペンダントが列島の旧石器人の象徴的思考を伝えてくれています。白い石のペンダントには14の刻みが付けられています。刻まれたナンバーは何かの記憶ともみられます。記憶を脳にとどめず、外部の媒体に刻み付けるという行為こそ、象徴的思考にほかなりません。また、ペンダントそれ自身が象徴的存在でもあったのでしょう。カルティエのダイヤが女優の胸元を飾るように、この装飾品もかなりシンボリックに映ったに違いありません。記号を刻む行為のほか、言語の使用も重要な象徴的思考のひとつと考えられています。

 ヨーロッパの旧石器人たちは、洞窟のキャンバスいっぱいに絵を描くという才能をみせましたが、日本列島ではそれとは異なるユニークな現代人的行動がみられました。局部磨製石斧というツールの発明、環状キャンプの形成、陥し穴猟の技術開発などです。また、黒曜石資源などの開発や供給も現代人的行動として理解されます。

 環状キャンプでは、50人を超すような人間が集結し、社会集団が作られる場合があったことがわかります。人びとの輪によって、情報が共有され、協働がなされ、安全が保障され、連帯感が高められたことでしょう。また、遊動生活の中で小集団が集まって大集団を形成したり、ふたたび分離したりするような離合集散の行動戦略がとられていました。人びとは刃を磨いた切れ味のいい斧を持って、原野の木々を切り払いました。

 陥し穴猟の技術開発は、槍によるハンティングの不確実性と獲物の追跡のための時間の浪費を見直す画期的な狩猟システムでしたが、その採用の時期と地域は限られ、普遍化することはなかったようです。なぜでしょうか。

 黒曜石やサヌカイトなどの主要石材が広域に供給される現象をみると、資源に関する情報ネットワークが緊密に張りめぐらされ、その補給がなされていたこともうかがえます。そうした情報ネットワークは、いくつかの社会集団の婚姻関係によって結ばれていたとされます。

「岩宿の発見」から半世紀以上、今日では1万カ所以上もの後期旧石器時代遺跡が、北海道から沖縄におよぶ日本列島の各地から発見されています。それらの遺跡は今後、どんな旧石器人たちの素顔を私たちに垣間見せてくれるのでしょうか。

 このブログは今回をもって一応終了します。短い間でしたが、ブログを読んでもらった方々には感謝申し上げます。考古学は広く深い学問です。また機会があれば書いてみたいと思っています。

(参考文献)

堤隆「旧石器時代の人びとと社会」『旧跡時代ガイドブック』新泉社2009年