にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

 低湿地遺跡は縄文のタイムカプセル

 2月よりにわか考古学ファン(縄文時代編)のブログをアップしてきましたが、まだまだ書きたいことがたくさんありますので、今回より、縄文時代その②として配信しようと思います。

 縄文時代の遺跡を発掘すると、大量の土器や石器、竪穴住居、墓などがみつかります。植物質の遺物は縄文時代の遺跡ではなかなか残りません。やはり植物はナマモノです。動物にしてもそうですが、土器や石器と違い微生物に分解されてしまうため、基本的には縄文集落が多くつくられた、台地上の遺跡には残りません。また、日本は火山が多く土壌はやや酸性の性質をもっていること、雨が多く湿度が高いことから、有機物は溶けてなくなってしまうのです。貝塚では例外的に骨などがよく残っていますが、植物に関しては炭化したものばかりで、燃料に使った薪、住居に使った柱、食料が焦げ付いて残った断片的なものなどしかありません。したがって、なかなか植物利用の具体像はわかりにくいという問題がありました。

 しかし1970年代後半から1980年代以降、大規模開発にともなって縄文時代の低湿地遺跡の発掘調査事例が急速に増加しました。「縄文のタイムカプセル」といわれた福井県鳥浜貝塚をはじめ、埼玉県寿能泥炭層遺跡、赤山陣屋跡遺跡、青森県三内丸山遺跡、栃木県寺野東遺跡、東京都下宅部遺跡、新潟県青田遺跡、佐賀県東名遺跡など、数多くの低湿地遺跡が調査されました。低地に水漬けの状態で保存されたため、植物、動物などの有機質の遺物が腐らずによく残っています。食料を加工した際に廃棄した種実の皮や、種子そのもの、弓や斧などのさまざまな木製品、編物や繊維などの遺物です。また、ジメジメした低地には人が残した遺物以外にも、植物化石を多く含んだ自然の堆積物が残っています。これらは、縄文時代の人びとが暮らしていた当時、その場所がどういった環境だったのかを知る非常に重要な材料になります。最近の調査でも、千葉県の道免き谷津遺跡などで低湿地からさまざまな植物質の遺物がみつかっています。

 縄文人の資源利用の特徴は、季節に応じて利用可能な野生動植物をまんべんなく、効率的によく利用するところにあります。春は植物や山菜、夏は魚などが中心になり、実りの秋にはクリやドングリなどの堅果類を集中的に利用し、冬は植物資源が乏しくなる代わりに動物資源にウェイトを置く「縄文カレンダー」とよばれる資源利用です。

 このように一般的には、縄文人は狩猟・漁撈と単純な野生植物の採取を中心とした生活を送っていて、植物な管理・栽培といった高度な利用は弥生時代からだと考えられてきました。一方で最近の研究では、約一万年以上前の縄文時代創世記・早期といった古い段階に、ウルシやアサ、ヒョウタンなどの外来植物・栽培植物だけでなく、縄文人が野生種を管理・栽培して次第に「栽培植物」となっていったものが日本列島にも存在していたことがわかってきました。

 日本列島の生態系の違いによって縄文人が利用した植物の種類や利用の仕方も異なっていて、縄文人の多種多様な野生植物の利用に関する知識は非常に高度であることもわかってきたのです。

(参考文献)

工藤雄一郎「低湿地遺跡の調査からわかってきたこと」『ここまでわかった!縄文人の植物利用』新泉社2014年