にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

 移動生活から定住生活へ

 縄文時代旧石器時代の大きな違いは、旧石器人が移動(遊動)生活から定住生活に大きく舵を切ったことです。このことについて述べたいと思います。

 人類の時代である第四期は、別に氷河期とも呼ばれ、非常に寒冷で氷河が発達する氷期と、温暖で氷河が後退する間氷期が交互に繰り返される、きびしい気候変化に見舞われた時代です。そして、最初の氷期から最終の氷期、ヨーロッパの氷期区分でいうヴェルム氷期まで、少なくとも11回の氷期があったことが明らかにされています。

 氷期の日本列島の植生は、今日とは大きく違っていて、北海道は森林ツンドラ、本州は針葉樹林が主体となるという、荒涼な環境が支配していました。しかも、列島を大陸から区切る海峡は、氷期の最盛期にはいくどか陸橋となり、その陸橋を北からマンモスやヘラジカ、バイソン、南からナウマンゾウやオオツノジカなどの大型の哺乳動物が渡ってきました。こうした大型の哺乳動物は、季節ごとに大きく移動をくり返すことから、それらを狩猟対象とした列島の後期旧石器時代人も、必然的に移動をくり返す生活を送っていました。

 ところがヴェルム氷期の最盛期が過ぎて、晩氷期とよばれる約1万6000年前から1万1500年前の気候は、短期間に寒・暖がおこり、氷期への逆戻りともいえる寒暖気候が再来し、さらに数十年で温暖期へと入れかわって、今日までつづく完新世の時代をむかえます。この晩氷期の地球規模で起こったはげしい気候変動の影響で、日本列島では大型の哺乳動物が絶滅し、それらにかわってシカやイノシシなど中・小型の哺乳動物が生息域を広げていきました。中・小型の哺乳動物は、大型の哺乳動物のように季節ごとに大きく移動をくり返さないので、しだいに列島の旧石器時代人は定住化の傾向をみせることになります。

 一方、氷期の寒冷気候の植生も、気候の温暖化によって徐々に北へと後退していき、その後を追うように、西南日本の海岸地帯から落葉広葉樹林、その南から照葉樹林が広がっていきました。そして、いまから約1万1500年前の完新世の初頭には、北海道をのぞいて列島の多くが落葉広葉樹林照葉樹林でおおわれる、今日の植生ができあがります。

 この落葉広葉樹と照葉樹の森林では、コナラやクヌギなどのドングリ類、トチノキ、クリなどの堅果類が豊富な実をつけます。しかし、こうした堅果類の多くは、クズやワラビなどの根茎類とともに、天然の生デンプンの結晶構造とアクのために、そのままでは食べることができません。堅果類や根茎類を食用として利用するためには、石皿や磨石などの製粉具と加熱処理をするための土器が必要となります。しかし、石皿や土器を携帯するには不向きです。こうした道具を使いこなすために、定住することが求められるようになります。

 さらに、定住化の傾向は、それまで食料資源として利用してこなかった水産資源にも眼を向けることになります。その歴史的な出来事の一つが、貝塚の出現です。

 こして、完新世に向かう環境の変化に対応して、植物採取・狩猟・漁労活動における縄文的な技術が確立しました。日本列島の四季の変化に対応した食料獲得が容易となり、人びとは本格的に定住生活をはじめることになります。縄文時代の幕開けです。

(参考文献)

勅使河原 彰「移動生活から定住生活へ」『縄文時代ガイドブック』新泉社2013年