にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

 コラム④

 東京都埋蔵文化財調査センター見学記

 令和5年5月28日(日)に東京都埋蔵文化財調査センターを訪れたので、その感想を述べたいと思います。

 稲城・多摩・八王子・町田の四市にまたがる、東西14km、南北2~4km、総面積3000hという広大な面積を有する多摩ニュータウン。その丘陵内に約1000箇所の遺跡が点在しています。

 東京都埋蔵文化財調査センターでは、1966(昭和41)年から40年間かけて、290ha、770箇所の遺跡を発掘調査してきました。展示ホールには、この多摩ニュータウン遺跡から出土した縄文土器などが数多く展示されており、いつでも自由に見学できます。

 沿革を簡単に述べると、東京都埋蔵文化財調査センターが作られたのは昭和60年で、多摩ニュータウン№57遺跡の西側部分を発掘調査して建設されています。この建物は、多摩ニュータウン遺跡内で見つかった土器や石器類の出土遺物の収蔵施設として、東京都埋蔵文化財調査センターが行う発掘調査の拠点として建設されました。そのとき観覧者が資料をご覧になっていただけるよう「展示ホール」を併設いたしました。また、昭和62年には、発掘調査終了後に埋め戻して保存された、多摩ニュータウン№57遺跡の東側部分に、遺跡庭園「縄文の村」が開設されました。

 東京都埋蔵文化財調査センターの概要は上記のとおりですが、「展示ホール」において展示資料の多さとその展示内容には感心しました。旧石器時代から江戸時代までの遺物が、解りやすい説明文のボードとともに、コーナーを仕切って整然と並べられています。これなら、考古学の知識がない方でも埋蔵文化財の世界に入っていくことができ、また関心を持っていただけるのではないかと思いました。 また、勾玉・耳飾り作り教室や縄文土器作り教室などの体験教室なども開催されているようなので、ぜひ今度参加してみたいと思いました。

 もう一つ関心を持ったのは、遺跡庭園「縄文の村」です。これは、1987(昭和62)年、多摩ニュータウン№57遺跡を保存する目的で整備されました。№57遺跡は旧石器時代から中世にいたる複合遺跡ですが、縄文時代前期の住居跡2軒、中期の住居跡8軒、早期の落とし穴などが発掘され、縄文時代の集落跡であることがわかりました。

 園内に復元された3棟の住居では、防虫・防腐をかねて週に数回ほど火焚きを行っており、運がよければ火焚きが見学できます。このほか園内には、発掘時の状況を再現した住居跡の模型や、湧水などもあわせて再現し、「縄文の村」の景観を体感することができます。縄文時代にタイムスリップするには格好の場所であり、ぜひもう一度行ってみたいと思いました。