にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

 縄文時代の道具

 縄文人がどのように生活していたのかは、縄文人の使った道具が雄弁に物語ってくれます。縄文人の道具といえば、その時代名称の由来となった縄文土器があります。土器の用途には、大きく煮炊き用と貯蔵用の二つがありますが、早期までは、もっぱら煮炊き用の深鉢形土器が使われています。前期になると、浅鉢、台付鉢などが加わり、中期には器形が豊富になり、とくに後・晩期には簡潔な文様の粗製の深鉢とともに、華麗な文様で飾られた深鉢、浅鉢、皿、壷、あるいは土瓶のような形をした注口土器などが使われるようになります。

 縄文時代を代表するもう一つの道具が弓矢です。弓矢は、弓の反発力と弦の張力を利用した狩猟用の飛び道具です。弦こそ発見されていませんが、弓と矢尻である石鏃が発見されています。とくに石鏃は列島各地から豊富に出土していますので、弓矢が縄文人の主要な狩猟具であったことがわかります。

 縄文人の道具の中でも、もっとも地味なのが打製石斧です。砂岩や安山岩などの手ごろな大きさの礫を打ち割って、短冊や分銅、撥のような形に作ります。石斧とよばれていますが、鋤のように長い棒状の柄の先や鍬のように曲がった柄のつけ、土を掘る道具として使いました。ヤマノイモなどの根茎類を掘るのに使っただけでなく、竪穴住居の床や柱穴、ドングリなどを保存する貯蔵穴、動物の罠を仕掛けるための落とし穴を掘るなどというように、定住生活をはじめた縄文人にとっては、その当初から必需品の一つでした。

 日本列島の山野に豊富な実をつけるトチやドングリなどの堅果類、クズやワラビなどの根茎類などの植物質食料を製粉するのに使ったのが、石皿、磨石、敲石、凹石とよばれる道具です。植物質食料の多くはアクがありますので、効果的にアクを抜くために製粉します。また、製粉することによって、ほかの食料品と練り合わせて、栄養価が高く、かつ美味な加工食品をつくることもできます。

 漁撈具では、骨角製の釣針があります。これは早期の初頭に、すでに二センチ前後の非常に精巧なものが使われています。早期の末葉になると、大小の釣針が使われるようになりますが、とくに中期の後半以降、三陸海岸や磐城海岸などで軸と針を別につくった10センチ以上にもなる大型の釣針など多種類のものが使われるようになります。一方、ヤスと銛のうち、ヤスは早期の初頭から内湾や内水面漁業の漁具として使われています。それに対して、銛は中期の後半以降、三陸海岸や磐城海岸で回転銛など機能性に優れたものが、外洋性漁業の漁具として使用されています。また、漁網は愛媛県の船ヶ谷遺跡で晩期のものが唯一発見されているだけですが、土製(土錘)や石製(石錘)の網の錘が各地から発見されていますので、その存在を知ることができます。

 そのほか、木材加工具である磨製石斧や削器、石錘など各種の道具があります。

(参考文献)

勅使河原 彰「縄文人の道具箱」『縄文時代ガイドブック』新泉社2013年