にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

 縄文時代の身分階層

 縄文時代が複雑で高度に組織化された社会であることから、その社会を指揮する首長層ないし貴族層などの身分階層が、縄文時代にもあったとの主張があります。たとえば小林達雄は、福岡県の山鹿貝塚で20枚をこえる貝輪をはめた女性をはじめとして、文様を彫刻した鹿角製の腰飾りをつけた男性など、副葬品をともなう埋葬例がみられることから、縄文文化にも身分階層があって、そこに奴隷層までいた可能性さえあると考えています。また、新進化主義学説をリードしたサーヴィスが社会発展の諸段階として、バンド社会、部族社会、首長制社会、国家社会、産業社会という五段階を唱えましたが、そのうちの首長制社会の存在を縄文時代に想定する研究者が増えています。

 サーヴィスの首長制社会とは、バンド社会と部族社会という性や年齢にもとづくもののほかは経済的な分化などがみられない平等主義的な氏族社会から、いきなり階級的な政治社会である国家が成立するのではなく、氏族社会と国家社会の間に、それらとは質的の異なる社会発展の段階を世界の民族誌を実例に設定し、それを首長制社会とよんだのです。首長制社会は、特定の出目集団が世襲する一般構成員と区別される首長ないし貴族層が、社会内の経済、政治、宗教活動などを統括しています。社会の経済基盤として、高い生産力にともなう余剰と、その余剰が首長のもとにいったん供出された後、公共事業や祭祀への参加、首長たちへの奉仕の見返りなどという形で、一般構成員に再配分されます。この再配分の行為によって、首長たちの威信と一般構成員からの支持が期待でき、そてのより高次の社会統合と組織化が可能となりますが、国家のような政治機関はもたない社会です。

 こうした首長制社会が縄文時代に想定できるかといえば、否と答えざるをえません。たしかに縄文社会でも、安定した生活を営むためには、そこに豊かな経験と知識をもった長老がリーダーとして指導的な役割をはたしていたことは間違いありません。また、そうした社会を維持していくためには、原始的なアニミズムあったとも思います。小林が事例とした腰飾りをつけた男性などが、そうしたリーダーの可能性は高いし、20枚をこえる貝輪を身につけていた女性が、少女時代から呪術にたけ、直接労働をおこなわない人物であった可能性があります。しかし、これらの人物が共同墓地の一角に葬られ、傑出した墓を築かなかったことから、これらの人物が身分階層として固定した階層から生まれたものではないことは明らかです。

 それよりも縄文時代の大規模な土木工事を彷彿させる大型遺跡が、たとえば弥生時代の墳丘墓や古墳時代前方後円墳に代表される古墳などと違って、特定の個人や集団の権力とは結びつかない、いわば共同体の記念物として構築されていることは、その社会が基本的には互恵と平等主義にもとづいた氏族共同社会であったことを雄弁に物語っています。サーウィズの社会発展の五段階説にしたがえば、彼のいう部族社会にもっとも近いといえます。

(参考文献)

勅使河原 彰「身分階層はあったか」『縄文時代ガイドブック』新泉社2013年