にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)
縄文人の暮らし
子供たち
当時の子どもたちにとっては、生活のすべてが遊びであり、その遊びを通して生きる知恵を獲得していったと考えられます。
女の子でありば、母親や祖母の側について、お手伝いをしながら、一緒に森に入り、どんな植物が食べられるか、薬草はどれか、どこにどんな植物が生えているのかなど、植物食料に関しての知識を蓄えていったと思われます。森の中に実るアケビやヤマブドウは格好のおやつにもなりました。食料の知識はもちろん、布織の技術や土器を焼く技術等も大人と一緒に過ごすことで獲得したはずです。
男の子の場合、3歳、4歳の頃から、周りに狩りの道具を作る大人がいれば、そのそばに座って、じっと手元を見ていたことでしょう。親方の技を見て学ぶ、現代の職人の弟子のように、小さなころから大人の姿を見て、脳裏に焼き付けるのです。その後は実践です。遊びの一環として見よう見まねで石器や鏃を作ってみて友達と出来の良し悪しを競いながら技術を向上させていくのです。もちろん、道具を作るだけでなく、追いかけっこや木登りをなどの遊びはしていたことでしょう。魚釣り競争などもしていたかもしれません。
男女ともこうしてそばにいる大人の様子を観察するところからはじめ、実践しながら生き抜く力をつけていったことでしょう。
抜歯について
縄文時代後期以降、盛んに行われた抜歯は、「虫歯になったから」とか、「歯周病で歯がぐらぐらするから」という理由からではなく、大人になった証としての行為です。
出土した骨の状態から地域差はありますが、だいたい上あごの左右の犬歯を成人の儀式の時に抜いたと考えられています。無理矢理引っこ抜くのですから、出血もかなりしたでしょうし、当時は麻酔があるわけではないため、その痛みは想像しがたい激痛だったと思われます。痛みに気絶する人もいたかもしれません。しかし、その激痛に耐えてこそ大人の証だったと考えられます。
こうした抜歯は成人儀礼以外にも、結婚や身内の死など様々な機会の行われていたと言われています。いずれにしても、考えるだけでこちらの血の気がひきそうな話ですが、大人になるということは今も昔も本当に厳しいことです。
祭りは出会いの場
今よりも人口が少なく、そして近隣の集落とも距離があった縄文時代、日常的に他の集落の人と出会うことは難しかったはずです。
そこで考えられる出会いの場はいくつかありますが、その一つとして、近隣の集落が集まって行う祭りが大きなイベントだったと思われます。
縄文時代の祭りは、祀りの場でもあったと考えられています。つまり、人びとが集まり、自然に対して祈りを捧げる場であったということ。「シカやイノシシ、魚介類がたくさん獲れるように」「森にクリやクルミがたくさん実るように」「子宝に恵まれるように」「皆が健康で健やかに暮らせるように」など、祈りを捧げる祀りをしていたと考えられています。
実際に縄文時代の遺跡からは、何らかの儀礼をおこなったされる場所が数多く発見されており、祈る道具として使われたとされる土偶や石棒なども見つかっています。
そして、祀りと同時に祭りも開催されたはずです。遺跡からは、土笛や動物の皮を張って太鼓として使ったと思われる土器も発見されています。歌や音楽が流れて賑やかだったと思われます。娯楽が今のようにたくさんあるわけではありませんから、長老から働き盛りの人たちはもちろん、子どもたちも参加を心待ちにしていたはずです。
(参考文献)
譽田 亜紀子「遊びは学び 成人式は痛みをこえて 祭りは出会いの場」
『知られざる縄文ライフ』誠文堂新光社2017年