にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

 「前・中期旧石器遺跡捏造事件」について② 

 「最古探し」に必死の考古学研究において、迷いもなく研究者は虚偽の海に泳がされた。そのなれあいで無批判な体質、発見やロマンという名の危うい罠、検証されずに流し続けられる考古学的ニュースなど、背後にある脆弱な構造も炙り出された。一方で、捏造とは知らず、「発見」を許容してしまった理由が別にある。

 捏造行為がなされる以前、日本列島において四万年前以前、いいかえると後期旧石器時代以前に人類がいたかどうか、学会を二分する大論争があった。「前期旧石器論争」である。

 肯定派は、「珪岩性石器」と呼ばれるある種の資料をとらえて、それを四万年前をさかのぼる「石器」だといい、否定派は単なる自然の産物、つまり「石ころ」に過ぎないとつっぱねた。いずれにせよそれらに残された剥離は、人為なのか、自然の営為によるものなのかの判断が二分される難しい資料であった。

 宮城県座散乱木での「石器の発見」は、その論争に終止符を打った。誰もが石器と認める資料が、四万年以上前の地層から「発見」されたからである。この行為はまったく遺跡ではない場所に石器を埋め込むという「遺跡捏造」であったが、埋め込まれた石器自体は捏造品ではなく本物だった。ただし、それは旧石器時代以降のまったく新しいものであったが、誰もが石器と認める迷うことのない形をしていた。

 考古学界は「前期旧石器論争」のいきづまりから、人工品として疑いようのないしっかりした石器の出土を研究者は必然的に求めていた。しかもこの資料は、年代の明らかな古い火山灰層の下から発見されている。「層位は形式に優先する」という言葉がある。どのようなかたちのものであろうと、出土した地層がその時代を決めるという認識である。前期旧石器は未知なるものであるがゆえ、捏造など考えもおよばず、その地層の年代をもって石器を認めてしまった。それ以後、不正行為が繰り返された。

 男が愉快犯だったのか、名誉欲の持ち主だったのか、精神的に病んでいたのか、そんなことはどうでもいい。捏造は起きてしまったのだ。そして、それを許してきた考古学界の体質こそ問題なのだろう。

 ところで発覚以前に、この「発見」を疑問視する声はあった。ただ、新聞やテレビを連れ出して目の前で石器を掘り出し、日本中にニュースとして発信されるような大胆な捏造行為が、間違ってもなされるとは思わなかった。愚かだったというほかあるまい。