にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

 前回、旧石器時代編を書きましたが、まだ書き足りないので旧石器時代その②編として書いていこうと思います。

 旧石器遺跡を掘る

 エジプトで王家の谷を掘る。イースター島でモアイ像を調べる。藤ノ木古墳で黄金に輝く倉金具を掘る。いずれもロマンに満ちた考古学的行為です。しかし、旧石器遺跡を掘る場合、発見の期待より、まず忍耐力が要求されるでしょう。

 発掘に従事するアルバイトの皆さんには、不可思議な土器や土偶などの出る縄文遺跡の発掘は人気です。しかし、旧石器の発掘現場に回されるとぼやきが始まります。ローム層を削っても、出てくるのは石のカケラと礫ばかりで、つまらないからです。

 ここにこの時代を掘る特質があります。たいていの旧石器遺跡の発掘は一万年以上前の赤土、すなわちローム層を移植ごてなどでていねいに削ることから始まりますが、木や骨などを溶かしやすい酸性土壌のローム層では、有機質遺物が残されているのはまれで、あるのは石器や小さな木炭ばかりです。竪穴住居などが見つかることはほとんどありません。テント上の簡単なイエを作っていたから、その痕跡が残りにくいのでしょう。

 遺跡を掘り進めると、旧石器が一定の範囲からまとまって出土します。これは「石器ブロック」とか「ユニット」とか呼ばれ、意味のある場所と考えられています。石器作りの跡であったり、イエの跡、石器を使用した場所、石器を捨てた場所などさまざまです。

 発掘では、石器の出土位置を正確に記録し、分布の広がり、どの地層から出たか、年代の決め手となる火山灰との関係など、細かい点がチェックされます。たとえば、鹿児島湾北部の姶良カルデラの噴火によって本州全域に降下した姶良Tn火山灰は、二万9000年前という較正年代が出されているため、石器がこれより上に出るとその年代より新しく、下に出ると古いものであることがわかります。

 また、握り拳ほどの大きさの礫がまとまって出土することが多くあります。これは礫群とよばれ、赤く焼け焦げて割れていたり、タール状のものが付着していたりすることから、火にくべられ、調理に使ったという説が有力です。ときおりみられる炭化物も火の使用を裏付ける重要な証拠です。炉とみられる土が焼けた場所もあります。

 オセアニアの先住民などはこうした礫をつかって、肉や魚、芋などの石蒸し料理をしていますが、こうした民族例から同じような使用法が礫群に想定されてい旧石器遺跡の発掘では、泥炭層などから、樹木や植物が発見されることがあります。こうした植物化石は、当時の植生を復元するうえで重要な証拠となります。

 富士山の火山灰などが降下した神奈川県の相模野台地では、後期旧石器時代の二万5000年間に四メートルものローム層が堆積しました。分厚い分、彫り抜くのには膨大な時間がかかりますが、古い順から整然と石器が発見され、旧石器編年には絶好のフィールドです。

(参考文献)

堤隆「旧石器を掘る」『古墳時代ガイドブック』新泉社2013年