2023-01-01から1年間の記事一覧

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

「前・中期旧石器遺跡捏造事件」について③ 捏造事件後、日本考古学界では「前・中期旧石器問題調査研究特別委員会」が組織され、三年間の検証がなされ、男が関与した遺跡や石器のすべてについて「学術資料として扱うことは不可能」との見解が示された。 また…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

「前・中期旧石器遺跡捏造事件」について② 「最古探し」に必死の考古学研究において、迷いもなく研究者は虚偽の海に泳がされた。そのなれあいで無批判な体質、発見やロマンという名の危うい罠、検証されずに流し続けられる考古学的ニュースなど、背後にある…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

「前・中期旧石器遺跡捏造事件」について① 目を覆うようなスクープが2000年11月5日、毎日新聞の朝刊トップを埋めた。「前・中期旧石器遺跡捏造事件」の震撼が、日本中へと広がった瞬間だった。 「神の手」の異名をもつ男は、縄文遺跡などから採取してきた新…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

「前・中期旧石器遺跡捏造事件」について① 目を覆うようなスクープが2000年11月5日、毎日新聞の朝刊トップを埋めた。「前・中期旧石器遺跡捏造事件」の震撼が、日本中へと広がった瞬間だった。 「神の手」の異名をもつ男は、縄文遺跡などから採取してきた新…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

旧石器人の食事 私たちとは異なる人類であるネアンデルタール人は、出土人骨に残るコラーゲンの同位体分析結果では、肉食中心の食生活で、食物連鎖の最上位にあったことが明らかにされています。彼らはマンモスや毛サイなどの大型哺乳類を選択的に狩猟し、そ…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

旧石器時代の地域性 北緯二四度から四六度におよぶ南北に長い日本列島は、さまざまな環境変化をみせています。たとえば真冬でもTシャツ一枚で過ごせる沖縄から、マイナス二〇℃を下回りストーブをガンガンと炊き続ける北海道旭川では、大きく環境が異なります…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

陥し穴について 遠く富士の雄姿を望む箱根山麓の初音ヶ原遺跡の尾根には、人をすっぽりと飲み込んでしまうほどの穴が赤土に掘り込まれていました。箱根山麓を生活の舞台に組み込んだ旧石器人たちが掘った穴です。スコップなどの掘削具のない時代、おそらく木…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

磨かれた斧 旧石器時代の定義を覆す発見が、日本列島で相次ぎました。刃の部分を研磨した局部磨製石斧の発見です。この時代には、磨製石器がなく打製石器を用いていたという主要な定義のひとつは、完全に見直しをかけられることになりました。しかも、この局…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

旧石器の進化 人類が持った最初のツールである旧石器は、狩りをする、調理する、あるいは道具を製作するために用いられ、自らの生命をゆだねる道具として、創意工夫をもって進化を遂げてきました。また、石器を保有する集団によっても、そのデザインが異なり…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

石器をつくる技 ねらいを定め、川原石のハンマーを黒曜石に打ちおろします。「パシッ」と音がして、鋭いカケラが剥がれ落ちます。石器の材料となる剥片です。このカケラをもとに、ナイフ形石器や尖頭器、搔器などさまざまな旧石器の道具が作られます。 石器…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

旧石器人の道具 考古学者は、石器の製作手順や形態に基づいて石器を分類し、名前を付けます。「技術形態学」と呼ばれる分類法です。一万年以上後の私たちが石器に名前を付けるので、当然当事者である旧石器人の道具の認識とは異なっていることも考えられます…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

前回、旧石器時代編を書きましたが、まだ書き足りないので旧石器時代その②編として書いていこうと思います。 旧石器遺跡を掘る エジプトで王家の谷を掘る。イースター島でモアイ像を調べる。藤ノ木古墳で黄金に輝く倉金具を掘る。いずれもロマンに満ちた考古…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

ヤマトと地方との関係性 地方の古墳である埼玉県稲荷山古墳や熊本県江田船山古墳の刀剣には、その持ち主が代々の大王へ奉仕した事績や、かれらの職制が刻まれています。これにより、五世紀には地方豪族が中央に出仕するシステムが存在していたことが明らかに…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

古墳時代の首長について 日本では、弥生時代に本格的な農耕社会が誕生しました。農耕、とくに稲作においては、種まきから収穫にいたるまで、長期にわたる人びとの協業が欠かせません。このとき、時間や労働を管理し、集団の利害調整や富の分配を行う権限が、…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

古墳時代の実際(社会景観) 古墳時代の社会の姿を、火山灰に埋もれた群馬県榛名山麓地域の遺跡群の発掘調査から復元してみます。地域の中心には首長居館(三ツ寺I遺跡)があり、それを核にして、周囲にムラが展開しています。ムラには黒井峯遺跡にみられた…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

小区画水田について 古墳時代における生業の基本は農耕でしたが、田や畑の跡を発見するのはなかなか困難です。竪穴建物などは地面を深く掘り込むためその痕跡が残りますが、農地は日々耕され、一旦放棄されるや急速に風化してしまうからです。しかし、発掘調…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

居館と水利について 古墳時代に先立つ弥生時代には、戦乱に備えて深い溝を巡らした環濠集落が築かれ、地域の中核となっていました。西日本の環濠集落のなかには、ムラ人の家とともに首長の住まいや祭殿とみられる大型建物があり、やぐら、倉、工房などが設け…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

渡来文化(古代の韓流ブーム) 渡来文化には、技術のほかに思想や制度など無形のものがありましたが、モノを対象とする考古学ではなかなか実証できません。しかし、その表現手段である文字資料の存在から間接的に類推することは可能です。代表例は、埼玉県埼…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

前方後円墳の実像 こんもりした丘に木々が生い茂った姿、あるいは頂上に神社の社殿を乗せた姿、これが現在の古墳の一般的な外観です。多くの人々は郷土の風景に馴染んだこのようなあり方が、古墳の本来の姿だと捉えていることでしょう。 しかし、考古学者が…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

ヤマトの王と地方の王 古墳の種類や副葬品・埴輪については、古墳時代編で述べていますので、別の視点から古墳について書きたいと思います。 巨大前方後円墳の大半はヤマト地域にあります。しかし地方にも突出した規模の古墳があり、なかでも吉備(岡山県)と…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

古墳文化のプロローグ 古墳文化は、三世紀中ごろから六世紀末ごろまで、日本列島の中央部に栄えた文化です。同じごろ、沖縄・南西諸島には貝塚後期文化が、北海道には続縄文文化が存在していました。南北に長く、気候が異なる日本列島には三つの文化圏が並ん…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

前回の古墳時代編では、少し理屈っぽい学術的な話になってしまいましたが、今回からの(古墳時代その②)では、解かりやすく面白い文章を心掛けて書いてみたいと思います。 卑弥呼について 卑弥呼は、当時倭国とよばれた日本で、西暦二~三世紀(弥生時代のお…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生から古墳へ 漢の皇帝から授かった金印「倭の奴国の王」 紀元前1世紀ごろの列島の様子を、中国の歴史書「『漢書』地理志」は、こう書いています。「夫れ楽浪海中に倭人あり。分れて百余国と為る。歳時を以て来り献見すと云ふ」これはどういうことかという…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

貝塚時代とは 北海道と同じように、弥生時代には沖縄などの南西諸島でも水田稲作は行われませんでした。つまり、日本列島の北と南には水田稲作は広がらなかったということになります。そもそも、沖縄諸島を中心とするこの地域には、「縄文時代」と呼ばれる時…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

続縄文時代とは 弥生時代に九州と四国と本州に広がった水田稲作の技術は、津軽海峡を渡ることはありませんでした。北海道に米作りは上陸しなかったのです。弥生文化の定義のひとつに「水田稲作を行っていること」というものがありますから、「北海道には弥生…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

土器に描かれた絵 弥生人たちは土器の表面や銅鐸などの絵で、当時の世界観を私たちに教えてくれます。例えば、兵庫県桜ヶ丘遺跡出土の5号銅鐸。ここにはシカと狩人、魚をとる人、臼と杵を使って脱穀する人、争う男女が描かれています。とはいえ、国内で見つ…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

祭祀の道具 弥生時代には木製品で作られた祭祀の道具がたくさん見つかっています。前回の鳥形木製品もその一例ですが、中には「木偶」と呼ばれる人形もありました。縄文時代の人形である土偶の多くが、妊娠した女性を表現していると言われますが、木偶は男女…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生人の祈り 祈りのイメージが強い縄文時代に対して、弥生時代の人々もさまざまな道具を使い、祈りの儀礼を行っていました。今でも、春の田植えの前には米作りがうまくいくように祭り(春祭り)をし、秋になって稲の刈り取りが終われば、収獲を感謝する祭り…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生時代の道具 織物 弥生時代には機織りが行われています。布を織るのは女性でした。大麻やカラムシなどの植物繊維を蒸して、叩いて、水にさらしてと、柔らかくするために何度もこの作業を繰り返しました。この作業は非常に大変なため、集落の中で年間計画…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生時代の道具 農耕編 弥生時代になると、生活に関するさまざまな道具が登場します。稲作に関する道具はもちろん、「そんなものまで使っていたのか?」と思うような道具まであります。そこにあるのは、「少しでも暮らしを便利に」「作業を楽に」という弥生…