にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

 旧石器時代の地域性

 北緯二四度から四六度におよぶ南北に長い日本列島は、さまざまな環境変化をみせています。たとえば真冬でもTシャツ一枚で過ごせる沖縄から、マイナス二〇℃を下回りストーブをガンガンと炊き続ける北海道旭川では、大きく環境が異なります。さらにはアフリカのカラハリ砂漠に生きるブッシュマンから北海道のイヌイットまで、人間が暮らす場所はさまざまです。このように地球上のあらゆる環境の中で生きぬいている哺乳類は、ホモ・サピエンスただひとりといえるでしょう。

 人間があらゆる環境で生きていけるのは、徐々に整えられた身体の適応機能もさることながら、道具と技術、そして文化を手に入れたからにほかなりません。アフリカを旅立ったホモ・サピエンスの前に大きく立ちはだかったのは、二万年前のシベリアの氷雪でした。そこで旧石器人たちは、寒さをしのぐために毛布をはおり、氷雪に耐える堅牢な住居を構築し、さらに歩みを進めます。そしてベーリング海峡を越えて、それまで無人の地であった新天地アメリカ大陸へと渡るのです。

 シベリアのブレチ遺跡からは、マンモスの牙で作った旧石器の人物像が発見されていますが、それにはフード付きのパーカーが表現されており、人びとが暖かな皮の衣類を身にまとい寒さをしのいでいた様子がうかがえます。

 暖かな皮革製品をつくるための皮なめしの道具に、「搔器」があります。掻器の分布密度を列島の南北に追うと、かなり明瞭な違いが現れ、環境適応の地域差をよく示しています。

 細石刃石器群の時期には、北海道では遺跡総数の60%が掻器を保有するのに対し、東北地方では50%、中部・関東では30~20%、近畿から九州の西日本では10%未満の遺跡に掻器が認められるだけです。ですから、日本列島においてもより高緯度地域では、掻器が充実して装備され、掻器を用いた皮革利用システムが機能し、寒冷な環境への技術適応として、優れた防寒性を発揮する毛皮革製品の製作に力が込められたことを物語っています。

 彫刻刀のような刃をつけた彫刻刀形石器と呼ばれる石器も、掻器と同様、東日本には多くて、西日本には極めて少ないという傾向があります。使用痕分析において彫刻刀形石器一部は、骨格等の加工に用いられたことが判明しており、骨角器等の製作の粗密においても東西差が生じていたことをうかがわせます。

 これに対しより温暖な南九州などでは、磨石や台石・石皿などといった堅果類加工具とみられる石器が充実して装備される傾向が強く、温帯林から採れる堅果類への依存の高さを示しています。寒冷な環境のマーカーとなる掻器と比べ、より温暖な環境を反映した存在として興味深い石器です。

(参考文献)

堤隆「あらゆる環境への適応」『古墳時代ガイドブック』新泉社2009年