2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

コラム④ 東京都埋蔵文化財調査センター見学記 令和5年5月28日(日)に東京都埋蔵文化財調査センターを訪れたので、その感想を述べたいと思います。 稲城・多摩・八王子・町田の四市にまたがる、東西14km、南北2~4km、総面積3000hという広大な面積を有する多…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

コラム③ 町田の古代遺跡の観覧(考古資料室と本町田遺跡) 令和5年5月27日(土)に町田市考古資料室と本町田遺跡を訪れたので、その感想を述べたいと思います。 まず、町田市考古資料室ですが、市内の遺跡から発掘された考古資料や発掘調査に関する記録類の…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

移動生活から定住生活へ 縄文時代と旧石器時代の大きな違いは、旧石器人が移動(遊動)生活から定住生活に大きく舵を切ったことです。このことについて述べたいと思います。 人類の時代である第四期は、別に氷河期とも呼ばれ、非常に寒冷で氷河が発達する氷…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文人の素顔 縄文人とは、縄文時代の住人ということです。縄文時代は約一万年もつづき、縄文人は、北は北海道から南は沖縄にいたる日本列島の全域に住んでいました。したがって、縄文人骨にも、年代差や地域差が当然ありますが、全体として縄文人としての共…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

クリ林について④ 下宅部遺跡とお伊勢山遺跡 下宅部遺跡ではクリやウルシの森林資源を管理して、それを盛んに利用していましたが、集落周辺における森林資源の利用が総体としてどのように捉えられるのかについて、近傍のお伊勢山遺跡と比較しながら検討してみ…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

クリ林について③ 下宅部遺跡 下宅部遺跡は1994年から2002年まで調査された遺跡で、北側に狭山丘陵の末端にあたる丘陵部があって、南側に河道部があります。縄文時代中期の段階では、まだクルミ塚とごく小さな水場ぐらいの遺構しかありません。一番盛んにこの…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

クリ林について② 三内丸山遺跡 クリ林の育成と縄文人との関係がもう少し明瞭にみえてきたのは青森県の三内丸山遺跡です。三内丸山遺跡は台地上に盛土や建物群、住居域、墓域がある大規模な集落遺跡で、1990年代にさまざまな調査が行われました。この大地の真…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

クリ林について① 日本列島は、人為の影響がなければ基本的に森林に覆われています。現在の植生をみると、中部地方の山岳部から北海道南部にかけてはブナやミズナラを主体として落葉広葉樹林が広がっており、関東地方や中部地方の沿岸部から九州にかけては、…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

栽培植物の利用 栽培植物も多くの種類が発見されています。たとえば千葉県沖ノ島遺跡では一万年前のアサの実がみつかりました。アサは現在衣服などに繊維が使われますが、縄文人はアサの実も利用していました。秋田県菖蒲崎貝塚では土器の内面に炭化したアサ…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文人の木の実の利用 縄文時代にはクリやクルミ、ドングリ類とトチノキといった木の実の利用が非常に盛んだったと考えられています。全国各地な博物館に行ってもこのような説明を受けることが多いのではないでしょうか。しかし実際には木の実の利用は時代に…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

編組製品について 縄文時代編とだぶるかもしれませんが、編組製品について別の視点で書いてみたいと思います。 編んだり組んだりする技術で製作される製品を編組製品といいます。かごなどの編組製品は食料や資材などの採集・運搬に適し、目の隙間を利用すれ…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文人の植物利用 縄文時代の植物利用の研究史について少し書いてみたいと思います。 最初は、1980年以前で、縄文時代の人びとは多種多様な野生植物を採取し、加工していたことが遺跡出土の木の実や木製品から明らかになってきた時期です。縄文時代の人びと…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

低湿地遺跡は縄文のタイムカプセル 2月よりにわか考古学ファン(縄文時代編)のブログをアップしてきましたが、まだまだ書きたいことがたくさんありますので、今回より、縄文時代その②として配信しようと思います。 縄文時代の遺跡を発掘すると、大量の土器…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代)

コラム② SF(科学小説)と縄文時代について 最近読んだSF(科学小説)について、思うことがあったので、気ままに書かせてもらいます。私の読んだSFは、スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』とレイブラッド・ベリの『火星年代記』です。この二つの小…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

旧石器時代の人びとと現代 氷期の日本列島を生き抜いた旧石器人は、万という時を隔てた遠い人類だったのでしょうか。決してそうではありません。彼らはホモ・サピエンスという私たち自身でもあるからです。今生き残っている唯一の人類である私たちホモ・サピ…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

ホモ・サピエンスとは 人間とは何か。こうした問いかけに,さまざまな答え方ができますが、とくに私たちホモ・サピエンスには「芸術家」という称号がぴったりでしょう。私たちとは異なる人間であるネアンデルタール人にも芸術の芽生えはみられ、動物の歯に穴…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

旧石器時代の海洋航海者 長野県野辺山高原の矢出川遺跡の黒曜石製細石刃石核五点が神津島産でした。本州中央高地の矢出川遺跡と、太平洋沖に浮かぶ神津島とは200キロもの距離を隔てています。しかもその間には海が存在し、氷河期に100m以上海面が低下しても…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

遊動生活 旧石器時代のライフスタイルの基本は移動することで、「遊動」ともいわれています。縄文時代以降のように、耐久性のある竪穴住居を構えて通年居住をせず、広範囲の遊動生活を繰り返していたとみられています。 1万カ所を超すという日本列島の旧石…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

旧石器人は何を食べたか 私たちとは異なる人類であるネアンデルタール人は、出土人骨に残るコラーゲンの同位体分析結果では、肉食中心の食生活で、食物連鎖の最上位にあったことが明らかにされています。彼らはマンモスや毛サイなどの大型哺乳類を選択的に狩…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

環状キャンプ 旧跡時代の暮らしというと、二、三家族が寄り添うようにテントを張って、ひそやかに生活していたかのようなイメージがあります。ところが、そうした小集団からなる旧跡時代の集落像を見直さなければならない発見が相次ぐようになりました。「環…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

黒曜石を求めて 今から4万年ほど前、列島にやってきたホモ・サピエンスたちは、鋭敏な資源探査感覚をもって黒いダイヤ、すなわち黒曜石を発見しました。その鋭い割れ口は、ガラスのかけらのようで、狩りに、調理に、工作にと威力を発揮しました。 その後の縄…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

旧石器時代の動物 氷期を代表する動物といえばマンモスが思い浮かびますが、日本では北海道で確認されているものの、本州では見つかっていません。マンモスやヘラジカ、バイソンなどを含むマンモス動物群は、寒冷な環境に適応した北方系の動物群です。ヘラジ…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

旧石器時代は氷河期 地上3000m。南極の”ドームふじ”では、日本の国立極地研究所のプロジェクトによる氷の深層の掘削がおこなわれ、氷の酸素同位体比から過去80万年におよぶ地球環境変動の解明が期待されています。グリーンランドや日本海海底からなどからも…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

旧石器人はどんな顔? もし旧石器人に会いたくなったら? 手っ取り早く上野の国立科学博物館に行くことです。旧石器人がにこやかに出迎えてくれます。この人物こそ、後期旧石器時時代人類の研究で欠かすことのできないおよそ2万年前の港川人、沖縄本島八重瀬…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

4万年前以前にもヒトはいたか? 2000年11月5日、日本考古学を揺るがす事件が発覚しました。「前・中期旧石器遺跡捏造事件」です。それ以前、日本列島の人類史は、石器の出た地層の年代をもとに60万年以上前までもさかのぼるとされてきましたが、宮城県の座散…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

人類はどこから来たか? «猿人・原人・旧人・新人»呪文のように唱えられ、「サルからヒト」へとたどられた人類の進化ですが、実際はそう単純で、一直線の道のりではなかったようです。 20世紀末、学会を二分する「現代人の起源論争」がありました。「他地域…

にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

旧石器時代の概要 「日本で一番長かった時代は」と問えば、ほとんどの人は縄文時代だと答えると思います。たしかに縄文時代は1万年以上続いたことが考古学的調査からわかっています。しかし実は違います。正解は2万5000年以上続いた旧石器時代です。およそ4…