にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

 クリ林について①

 日本列島は、人為の影響がなければ基本的に森林に覆われています。現在の植生をみると、中部地方の山岳部から北海道南部にかけてはブナやミズナラを主体として落葉広葉樹林が広がっており、関東地方や中部地方の沿岸部から九州にかけては、カシやシイ、クスノキの仲間などを主体とした常緑広葉樹が広がっています。縄文時代の森林も、前期になるとほぼ現在と同様の様相を示していました。では、縄文人はこうした森林の中で、どのように木材や果実をはじめとする森林資源を活用していたのでしょうか。

 1980年以降に関東平野で発掘された縄文時代後・晩期の三カ所の遺跡でどういう植物利用がみえてきたかを述べます。1980年前後に発掘された埼玉県さいたま市の寿能泥炭層遺跡と、1980年代前半に発掘された川口市の赤山陣屋跡遺跡、そして80年代後半から90年代初頭にかけて発掘された栃木県の寺野東遺跡について検証してみます。

 寿能泥炭層遺跡では、水場遺構は出ていませんが、木道や杭群、杭列が大宮台地を開析する芝川にそった低地にひろく認められました。赤山陣屋跡遺跡では「トチの実加工場」と称されている遺構が出てきます。低地の遺構はふつう水場遺構と呼ばれていますが、この遺構のすぐ横には立派なトチ塚が検出されたことから、この遺構はトチの実加工場跡と呼ばれるようになりました。寺野東遺跡では水場遺構が縄文時代の後期から晩期にかけて20基ほど延々と造られていたということがわかっています。

 この三カ所の遺跡の遺構に使われていた木材の樹種の組成をみてみると、クリが、少ないところで50%、多いところでは80%ぐらいを占めていることがわかりました。関東平野は現在、人の影響がまったくないとすると常緑広葉樹林が分布している地域です。また近年まで関東平野薪炭林として維持されてきた雑木林はナラやクヌギを主体としていて、それにクリがともなうのが普通です。こうした点で、この三遺跡で利用されているクリの比率は現在の森林とくらべて高すぎます。現在、日本列島にはこんなにクリが優占する林というのは存在しません。雑木林にもクリはかならず混生していますが、ナラやクヌギとくらべて少なく、これだけの量のクリを集めるにはかなりの労力が必要です。したがって、当初はこうした樹種の組成から、縄文人がクリの多い林を集落の周辺に育てていたと考えたわけです。

(参考文献)

工藤雄一郎「縄文人がクリを育てたことがわかってきた」

     『ここまでわかった!縄文人の植物利用』新泉社2014年