にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

 縄文人の木の実の利用

 縄文時代にはクリやクルミ、ドングリ類とトチノキといった木の実の利用が非常に盛んだったと考えられています。全国各地な博物館に行ってもこのような説明を受けることが多いのではないでしょうか。しかし実際には木の実の利用は時代によって変化するものであり、利用される種類にも地域性があります。各地の遺跡で確実に人が木の実を利用したことがわかるかごや貯蔵穴に入ったドングリ類、木の実の殻を廃棄したクルミ塚などがみつかっており、木の実の利用の時期差や地域性が明らかになってきたのです。

 縄文時代の全時期を通じてさまざまな遺跡から出土するのはドングリ類とクルミですが、縄文時代前期以降になるとクリが多くなります。後期になるとアク抜きが必要なトチノキが本格的に利用され、出土例が多くなります。

 東北・関東・北陸地方縄文人はクリを好むようです。クリは主食にならないといいますが、これは現在の感覚で、かつては違っていたのかもしれません。これらの地域の遺跡から出土する木の実をみると、クリが多くの遺跡で出土します。クルミもありますが、ドングリ類が利用された痕跡はわずかです。クリ塚やクルミ塚、トチ塚はありますが、ドングリ塚はでていません。東日本の縄文人はドングリ類をあまり食べていないようです。東日本では、アク抜きが必要なドングリの種類が多いからかもしれません。

 これらの地域では縄文時代後期になると、食べるにはアク抜きが必要なトチノキの種子を、低地にアク抜きのための施設をつくって組織的に利用するようになります。トチノキは食用にあたり水さらしと煮沸によるアク抜きが必要です。後期頃、低湿地遺跡では水場遺構とよばれるトチの水さらしを行う木組みや、大量のトチノキを土器に入れて煮沸したと考えられる大型の土器、トチノキの殻(種皮)のみを集中的に廃棄したトチ塚などの出土例が増加します。東日本の縄文人は後期頃にはトチノキを加工処理する技術をもち、組織的に加工作業を行っていたと考えられています。

 西日本の縄文人はドングリ類、なかでも早期後期頃以降にイチイガシを盛んに利用します。クルミトチノキ、クリも利用しますが多くはありません。イチイガシが生で食べられる点が利点なのでしょうか。このように、堅果類の利用には地域性があることがわかってきました。アクのないドングリの利用しやすさ、あるいはイチイガシは照葉樹林に生えている植物ですので、植生の違いも関係しているのかもしれません。

 また、縄文人はクリなどの樹木を管理していたことがわかってきました。クリ果実の大きさは、縄文時代早期や前期では小さな個体が多く、晩期にむけてだんだん大きくなるという分析結果がでています。約5000年前(中期の中頃)になると、現在の栽培種の大きさに近い、4~5センチぐらいのクリが出てきています。とくに晩期には小さな個体から大きな個体まで利用していたようで、大きなムラではさまざまな大きさのクリが利用されており、大きなクリを管理していたようです。小さなムラでは野生のヤマグリに近い小さなクリが利用されていました。オニグルミもおなじで、東名遺跡(早期)では小さいですが、東京都下宅部遺跡(中期後半)では大きくなっています。こうした点から、大きな果実をつける個体を選別して管理していた可能性を考えています。有用植物をつねに有効利用した結果、中期後半頃にクルミも大型化したのではないかと考えたくなる分析結果です。

(参考文献)

工藤雄一郎「縄文人の木の実の利用」

     『ここまでわかった!縄文人の植物利用』新泉社2014年