2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

居館と水利について 古墳時代に先立つ弥生時代には、戦乱に備えて深い溝を巡らした環濠集落が築かれ、地域の中核となっていました。西日本の環濠集落のなかには、ムラ人の家とともに首長の住まいや祭殿とみられる大型建物があり、やぐら、倉、工房などが設け…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

渡来文化(古代の韓流ブーム) 渡来文化には、技術のほかに思想や制度など無形のものがありましたが、モノを対象とする考古学ではなかなか実証できません。しかし、その表現手段である文字資料の存在から間接的に類推することは可能です。代表例は、埼玉県埼…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

前方後円墳の実像 こんもりした丘に木々が生い茂った姿、あるいは頂上に神社の社殿を乗せた姿、これが現在の古墳の一般的な外観です。多くの人々は郷土の風景に馴染んだこのようなあり方が、古墳の本来の姿だと捉えていることでしょう。 しかし、考古学者が…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

ヤマトの王と地方の王 古墳の種類や副葬品・埴輪については、古墳時代編で述べていますので、別の視点から古墳について書きたいと思います。 巨大前方後円墳の大半はヤマト地域にあります。しかし地方にも突出した規模の古墳があり、なかでも吉備(岡山県)と…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

古墳文化のプロローグ 古墳文化は、三世紀中ごろから六世紀末ごろまで、日本列島の中央部に栄えた文化です。同じごろ、沖縄・南西諸島には貝塚後期文化が、北海道には続縄文文化が存在していました。南北に長く、気候が異なる日本列島には三つの文化圏が並ん…

にわか考古学ファンの独り言(古墳時代その②)

前回の古墳時代編では、少し理屈っぽい学術的な話になってしまいましたが、今回からの(古墳時代その②)では、解かりやすく面白い文章を心掛けて書いてみたいと思います。 卑弥呼について 卑弥呼は、当時倭国とよばれた日本で、西暦二~三世紀(弥生時代のお…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生から古墳へ 漢の皇帝から授かった金印「倭の奴国の王」 紀元前1世紀ごろの列島の様子を、中国の歴史書「『漢書』地理志」は、こう書いています。「夫れ楽浪海中に倭人あり。分れて百余国と為る。歳時を以て来り献見すと云ふ」これはどういうことかという…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

貝塚時代とは 北海道と同じように、弥生時代には沖縄などの南西諸島でも水田稲作は行われませんでした。つまり、日本列島の北と南には水田稲作は広がらなかったということになります。そもそも、沖縄諸島を中心とするこの地域には、「縄文時代」と呼ばれる時…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

続縄文時代とは 弥生時代に九州と四国と本州に広がった水田稲作の技術は、津軽海峡を渡ることはありませんでした。北海道に米作りは上陸しなかったのです。弥生文化の定義のひとつに「水田稲作を行っていること」というものがありますから、「北海道には弥生…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

土器に描かれた絵 弥生人たちは土器の表面や銅鐸などの絵で、当時の世界観を私たちに教えてくれます。例えば、兵庫県桜ヶ丘遺跡出土の5号銅鐸。ここにはシカと狩人、魚をとる人、臼と杵を使って脱穀する人、争う男女が描かれています。とはいえ、国内で見つ…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

祭祀の道具 弥生時代には木製品で作られた祭祀の道具がたくさん見つかっています。前回の鳥形木製品もその一例ですが、中には「木偶」と呼ばれる人形もありました。縄文時代の人形である土偶の多くが、妊娠した女性を表現していると言われますが、木偶は男女…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生人の祈り 祈りのイメージが強い縄文時代に対して、弥生時代の人々もさまざまな道具を使い、祈りの儀礼を行っていました。今でも、春の田植えの前には米作りがうまくいくように祭り(春祭り)をし、秋になって稲の刈り取りが終われば、収獲を感謝する祭り…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生時代の道具 織物 弥生時代には機織りが行われています。布を織るのは女性でした。大麻やカラムシなどの植物繊維を蒸して、叩いて、水にさらしてと、柔らかくするために何度もこの作業を繰り返しました。この作業は非常に大変なため、集落の中で年間計画…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生時代の道具 農耕編 弥生時代になると、生活に関するさまざまな道具が登場します。稲作に関する道具はもちろん、「そんなものまで使っていたのか?」と思うような道具まであります。そこにあるのは、「少しでも暮らしを便利に」「作業を楽に」という弥生…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生時代の世帯事情 縄文時代には、ひとつの竪穴住居に4人から6人ほどが一緒に暮らしていたと考えられていますが、弥生時代も同様だったようです。ただし、ひとつの集落内での住居数は増えていきます。というのも、弥生時代の食料事情は縄文時代に比べて良く…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生時代の竪穴住居 弥生時代になると、鉄器の導入によって様々な木材加工ができるようになりました。例えば、竪穴住居。縄文時代から続くこの住居は、弥生時代になると縄文時代のように丸太、もしくは半裁した木材を使うだけでなく、板材も使いようになりま…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生人のコメの炊き方 前回で、弥生人は縄文時代と同じように、肉や魚介、木の実、山菜、果実類など、四季折々の食物をバランスよく食べていたという話をしました。とはいえ、弥生時代といえば、やはり気になるのはお米のことです。現代人の多くが食べるお米…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生人はコメ至上主義? 弥生時代の最大の特徴は、「水田稲作が始まったこと」と言えます。それなら弥生人たちは、さぞかしお米をお腹一杯食べていたことだろうと思いがちですが、事実は少し違うようです。 弥生時代になったからと言って、縄文時代の生業で…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

隣の芝生は青かった? 縄文時代に比べて、圧倒的に争いの痕跡が多く見つかっているのが弥生時代です。やむに止まれず争いに発展することもあったはずですが、その原因は、そもそも争いの種になることが目に見えて増えたからだとも言えそうです。 例えば、米…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

争いのはじまり 日本列島では、弥生時代になって、富や食料などを巡って争いが始まったと言われています。弥生時代には、コメという富の発生に加え、土地や水を巡る争いなど、人と争う火種の要因が多くあり、そこに背景がありそうです。それを証明するように…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

環濠集落の出現 弥生時代の社会を語るうえで欠かせない大きな特徴のひとつに、「環濠集落」があります。これは水田稲作と共に大陸から持ち込まれた集落のあり方で、外敵や害獣、ときには洪水などの自然災害から集落を守るために、さらにはムラの集団意識を高…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生時代の外交 本格的な大陸との付き合いは弥生時代から始まっており、卑弥呼もそのかじ取りをした人のひとりといえます。外交の相手は3世紀の中国、三国時代の王朝のひとつ「魏」でした。魏は、卑弥呼も登場する『「魏書」東夷伝倭人条』(略称・魏志倭人…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生時代の外交 本格的な大陸との付き合いは弥生時代から始まっており、卑弥呼もそのかじ取りをした人のひとりといえます。外交の相手は3世紀の中国、三国時代の王朝のひとつ「魏」でした。魏は、卑弥呼も登場する『「魏書」東夷伝倭人条』(略称・魏志倭人…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

邪馬台国について(その②) 女王・卑弥呼とは、どういう人物だったのか?そして、邪馬台国はどこにあったのか?今も多くの人を惹きつけてやまない謎です。しかし、「卑弥呼」「邪馬台国」という言葉が先に立ち、彼女の生きていた時代が弥生時代の終り頃だっ…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

邪馬台国について 最近、吉野ケ里遺跡の石棺が話題になっているので、邪馬台国について書いてみようと思います。 邪馬台国と卑弥呼は、三世紀の中国の歴史書『三国志』の「魏志・東夷伝・倭人条(通称・魏志倭人伝))」に出てくる国と女王の名前です。三世紀…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

列島に異なる文化が存在した時代 縄文時代晩期、東北地方で遮光器土器が盛んに作られていたころ、北部九州では、渡来人ともともとその地に暮らしていた縄文人によって、水田稲作を暮らしの中心に据えた弥生文化がはじまりました。つまり、南北に長い日本列島…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生人はどこから来たの? 弥生時代に生きた人びとのことを、弥生人と呼びます。弥生人は、一言では語れないほど多様な文化、DNAを持った人々です。そして、「渡来系弥生人」と「縄文系弥生人」に分かれます。渡来人とは大陸由来のDNAを持ち、水田稲作と金属…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

前回のにわか考古学ファンの独り言(弥生時代編)では、炭素14年代測定法の衝撃により弥生時代の開始年代が500年もさかのぼったため、紀元前10世紀から紀元後3世紀まで年代順に弥生時代の歴史を書いてきましたが、今回からは、弥生時代の生活の様子を分かり…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文時代に学ぶこと 縄文時代は、一万年近くもつづくというように、世界史でも例をみないほど安定した社会を築きました。しかも、縄文土器や漆工技術などに代表される原始社会の極致とよばれるほどの高い技術を示し、その内容も、先史文化では類をみないほど…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文から弥生へ 縄文人は、早い時期から栽培植物を利用していながら、日本列島が畑作に不適な自然条件ということもあって、列島の環境の多様性を最大限に利用する獲得経済の段階にとどまっていました。そうした縄文時代の獲得経済を変革する技術革新が大陸か…