にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

 

 前回のにわか考古学ファンの独り言(弥生時代編)では、炭素14年代測定法の衝撃により弥生時代の開始年代が500年もさかのぼったため、紀元前10世紀から紀元後3世紀まで年代順に弥生時代の歴史を書いてきましたが、今回からは、弥生時代の生活の様子を分かりやすく書いていきたいと思います。

 弥生時代はどんな時代?

 「弥生時代」と聞いて、まず何が頭に浮かびますか?米作り?鉄が入ってきた?つるっとした弥生土器?どれも正解です。そのなかでも私は、まず米作りが弥生時代の開始を告げるものではないかと思います。

 そもそも、私たちの食事に米は欠かせません。その米作りが大々的に始まったのが弥生時代です。調べていくと、杵や臼はこの時代からほとんど形と用途を変えず現在まで存在しています。鍬や鋤もほとんど変わっていません。日本列島に暮らす私たちは、2000年も同じ道具を使って米作りをしてきたのです。

 もちろん、縄文時代があるからこそ積み上がった歴史ではあります。それでも今の生活に繋がる暮らしの根幹に弥生時代があることは疑う余地もありません。そこには、私たちが想像していた以上に、いろいろな意味で「人間らしい」営みの痕跡が溢れています。

 確かに、弥生時代の後半には、支配や争いが顕著になります。一方で、早い段階から大陸の人びとを受け入れた原住の人びとは、思っている以上に好奇心旺盛で、外に開かれた人々だったのではないでしょうか。

 そして、大陸の人々と鉄器や暮らしを通じて交流していた弥生人たちに、国際的で、少しでも暮らしを効率的で便利にしていきたいという前向きな姿勢を感じずにはいられません。弥生時代に、今日の日本に続く国家、そして社会の原形が作られたのは確かです。だからこそ、この時代を知ることが、今を生きるヒントになるのではないかと思います。弥生時代を知らずして、日本を語ることは不可能です。

 弥生時代とは、紀元前10世紀前後から紀元後3世紀中頃の時代をいいます。ただし、この時代幅に関しては現在のところ研究者の間で様々な意見があります。私は、北部九州で大規模な水田稲作が始まったころから、近畿地方前方後円墳が造られ始めるまでを弥生時代と考えます。

 弥生時代は社会の成熟の度合にあわせて、「早期」「前期」「中期」「後期」の4つに分けられます。また、早期から中期前半は弥生時代の基礎が作られた時代であり、中期から後期は、各地で台頭する王によって地域政権が展開される時代と、大きく分けて2段階の流れがありました。

 では、弥生時代の「弥生」とは何を意味しているのでしょうか。1884年明治17年)、東京府本郷区向ヶ丘弥生町から見つかった壷は、それまでに発見された土器(縄文土器)とは違った特徴をもっていました。縄文時代よりも上の地層から発見されたため、見つかった地名から弥生式土器(現在は弥生土器)と名付けられました。同じような特徴の土器を使い暮らした人々の文化を弥生文化と呼び、その土器が普及した時代を弥生時代と呼ぶようになりました。

(参考文献)

譽田亜紀子「弥生時代って、いつのこと?」

     『知られざる弥生ライフ』誠文堂新光社2019年