にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

 弥生人の祈り

 祈りのイメージが強い縄文時代に対して、弥生時代の人々もさまざまな道具を使い、祈りの儀礼を行っていました。今でも、春の田植えの前には米作りがうまくいくように祭り(春祭り)をし、秋になって稲の刈り取りが終われば、収獲を感謝する祭り(秋祭り)をします。これらは日本各地で習わしになっていて、現在の春と秋のお祭りの始まりは、水田稲作が導入された弥生時代にありました。縄文時代と少し違うのは、祈りを捧げる対象が増えたということです。縄文時代は自然界から得られる恵みに頼っていたため、そこに存在する目に見えない存在(超自然的存在)にさまざまなことを祈ったと考えられます。

 一方、弥生時代は超自然的存在以外に、祖霊といわれる広い意味での先祖の霊にも祈ったと考えられています。日照りの時には雨乞いをし、逆に雨が続けば止むように祈ったことでしょう。精魂込めて育てた稲を一瞬にしてダメにする天災が起こらぬよう、祖霊に祈ることもあったかもしれません。地域によって祖霊や稲の精霊を連れてくる鳥形の木製品や、水田には欠かせない水を司る龍の絵を描いた土器などを祭祀具として使っていました。これらは、水田稲作の技術と共に大陸から伝わった思想だと考えられています。

 祈りを司るシャーマン

 祈りをリードしたのは、縄文時代と同じようにシャーマン(巫女、呪術師)でした。具体的な姿が土器の表面に描かれています。また、実際に福岡県飯塚市立岩遺跡の甕棺墓からは、シャーマンと思われる人骨が見つかっています。特別な副葬品があり、社会的地位の高さを示しています。右腕には南島産の貝輪を14点も身に付けていました。貝輪の中には輪っかの径が小さく、到底成人の手に入るような大きさではない物もあります。つまり子供のときに身につけ、水田稲作などの大変な労働に従事することなく暮らした人だったと思われます。もしかすると、子供のときからシャーマンとして育てられたのかもしれません。祈りを司るシャーマンは、人びとの心を掌握し、権力を持つようになっていきます。その典型が、弥生時代の最後に登場するシャーマン、卑弥呼だったのです。

(参考文献)

譽田亜紀子「弥生人の祈り」「祈りを司るシャーマン」

     『知られざる弥生ライフ』誠文堂新光社2019年