にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

 弥生人はどこから来たの?

 弥生時代に生きた人びとのことを、弥生人と呼びます。弥生人は、一言では語れないほど多様な文化、DNAを持った人々です。そして、「渡来系弥生人」と「縄文系弥生人」に分かれます。渡来人とは大陸由来のDNAを持ち、水田稲作と金属器を携えて日本列島にやってきた人々です。その後、渡来人によってもたらされた文化と在来の文化が結びつき、弥生文化が誕生しました。

 また、弥生文化によって日々の暮らしを営んだ人々を弥生人と言います。弥生人には2タイプあり、ひとつが縄文人の特徴を色濃く持つ人々(縄文系弥生人)、もうひとつが渡来人の特徴を色濃く持つ人々(渡来系弥生人)です。その後、古墳時代にも大陸から海を渡って列島にやってくる人々との間で混血が進み、それが今の日本人の基礎になったと考えられています(沖縄、アイヌ人は除きます)。

 では、渡来人たちは、どのようにして朝鮮半島南部から渡ってきたのでしょうか。時代を遡ること7000年前。すでに縄文時代前期から、九州と朝鮮半島沿岸の人々の間に交流があったことが、両地域で見つかる土器や耳飾りなどからわかっています。考えてみれば、朝鮮半島から見て、玄界灘を挟んで対馬壱岐があり、その島々に立ち寄りながら周辺に暮らす人々が船で行き来していたとしても何ら不思議ではありません。ただ、このころは、本格的な移住定住というわけではなく、漁業を生業にしていた人々の間で交流していた程度だと考えられています。

 時代はくだり、紀元前11世紀ごろ、日本列島では経文時代晩期にあたりますが、そのころ朝鮮半島水田稲作が始まりました。農耕社会が発展するにつれ、ムラの中に、統率する者とされる者という身分の差ができるようになりました。朝鮮半島南部に作られた支石墓など、環濠集落(外部の侵入を防ぐためにムラの周囲に濠を巡らした集落)が権力者の存在を物語っています。

 となれば、その支配から逃れたいと思う人びとが出てくるのが世の常というものです。その結果、水田稲作に従事した朝鮮半島南部の人々が、稲作技術を携え、もともと交流のあった北部九州に新天地を求めて船出しました。玄界灘の荒波を越え、やってきたのが渡来系弥生人の祖先たちだったのです。

(参考文献)

譽田亜紀子「弥生人はどこから来たの?」

     『知られざる弥生ライフ』誠文堂新光社2019年