にわか考古学ファンの独り言(弥生時代)

 弥生早期前半(前10世紀後半~前9世紀中ごろ)

 水田稲作の始まり②

  最古の弥生土器

 考古学においては、水田稲作の開始をもって弥生時代が始まると定義していますので、最古の弥生土器はもっとも古い水田稲作にともなう土器、ということになります。

 現在、最も古い弥生土器は、福岡県橋本一丁田遺跡で出土した方形の浅鉢であります。上からみると方形であることに、この名の由来があります。「なんだ、縄文土器じゃないか!」と思う方がほとんどであろうと思います。四つの頂をもつ山形口縁は縄文土器特有の形であります。それにそもそも浅鉢自体が縄文土器特有の器なのです。

 見た目は縄文土器なのに、なぜ最古の弥生土器といえるのでしょうか。それは今から40年前、ある研究者が弥生時代の指標を変えたからにほかなりません。そもそも1884年現在の東京大学工学部構内にあった向ヶ丘貝塚で、初めて弥生土器が見つかってから1970年代まで、弥生時代の指標は弥生土器でありました。

 しかし弥生土器の研究が進むにつれて、弥生土器を後続とする古墳時代の土器である土師器との区別が難しくなり、どこまでが弥生土器で、どこからが土師器なのかを区別できなくなってきました。そこで土器で時代を区別するのではなく、その時代を特徴付ける指標で区別するという考えが提示されました(佐原1975)。水田稲作の時代が弥生時代前方後円墳の時代が古墳時代なら、水田稲作が始まっている橋本一丁田遺跡の方形浅鉢は、見た目は縄文土器であっても最古の弥生土器ということになるわけです。 

 ただすべての方形浅鉢が弥生土器といえばそうではありません。同じ時期の近畿にも方形浅鉢はありますが、近畿ではまだ水田稲作を行っていないので、こちらは縄文土器ということになります。同じ方形浅鉢でも、縄文土器弥生土器があることになりますが、指標が土器でなくなったことがこのような現象を引き起こしたのです。

 つまり水田稲作を始めた人びとは、縄文以来の特徴と機能を持つ浅鉢や深鉢といった土器(見た目は縄文土器)に、新しく朝鮮半島南部から伝わった種籾を貯蔵するための壷(見た目は弥生土器)を組み合わせて、農耕生活を始めたことになります。私たちが教科書で見慣れた弥生土器が出てくるには、さらに100年ほど時間がかかりますが、それまでは系譜を異にする土器を組み合わせて生活していたのであります。

 

藤尾慎一郎「最古の弥生土器」『弥生時代の歴史』講談社現代新書2015年