にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

 弥生時代の道具

 織物

 弥生時代には機織りが行われています。布を織るのは女性でした。大麻やカラムシなどの植物繊維を蒸して、叩いて、水にさらしてと、柔らかくするために何度もこの作業を繰り返しました。この作業は非常に大変なため、集落の中で年間計画を立てて執り行っていたと思われます。糸を撚るための紡錘車も見つかっています。土、石、骨、金属、木製と時代と地域によって様々な種類がありました。他に糸を巻き取る道具や織機の部分が見つかっています。

 糸を紡ぐ道具として、紡錘車は適度な強さと均一的な大きさにするために撚りをかけながら糸にする道具です。紡輪と紡茎でできています。紡輪の中には模様のついているものもあり、なかなかこだわりがあったようです。機織り機は単純な構造で、幅の広い布を織ることはできず、自分の体の肩幅に合わせて経糸緯糸を張り、糸を左右にくぐらせて織っていました。

 漁師道具

 縄文時代の遺物のなかにも骨角器の釣針や銛などが見つかっていますが、弥生時代になると面白い漁具が見つかります。イイダコ壷です。その他、アワビオコシと思われる道具も増加します。ここまで具体的に、何を獲るための道具であるか判明しているのは珍しいかもしれません。不思議なのは、なぜそこまでイイダコ獲りに夢中になったのか、また、アワビ専用の道具が増えるほどアワビが好きだったのかということです。弥生人の味覚にあったのでしょうか。どちらも縄文時代でも食べられていたものです。なんだか面白いなと思う道具です。

 大工道具

 職業として大工が存在したとは思えませんが、今で言う大工道具が見つかっています。多くが鉄や石でできた工具です。その斧を使って木を伐採し、板材を作ります。表面はヤリガンナなどで整えられます。穴を開けてり、仕上げもしました。このように、木材を丸太のままではなく、板材にすることができるようになったことで、弥生時代の建物は大きく変化したと言われています。高床倉庫ができたのも、こうした技術のおかげだと思われます。

 青銅器作り

 弥生時代中期の初め頃になると、国内で青銅製品が作られるようになります。至る所で作られたということではなく、国内でも限られた場所に工房があったようです。鋳型や炉に風を送り込む送風管、鋳造した時に出る滓などから工房跡の存在がわかります。では、どんな人がその仕事についていたかというと、例えば熊本市の八ノ坪遺跡で見つかった土器のセットから朝鮮半島南部で青銅器制作に関わっていた人々が移住し、弥生人と一緒に工房で働いていたと考えられます。

(参考文献)

譽田亜紀子「弥生のイチオシ便利グッズ」

     『知られざる弥生ライフ』誠文堂新光社2019年