にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

 邪馬台国について(その②)

 女王・卑弥呼とは、どういう人物だったのか?そして、邪馬台国はどこにあったのか?今も多くの人を惹きつけてやまない謎です。しかし、「卑弥呼」「邪馬台国」という言葉が先に立ち、彼女の生きていた時代が弥生時代の終り頃だったということは、いがいに忘れがちになってはいないでしょうか。

 卑弥呼についての情報は、『魏志倭人伝からしか知ることができません。そもそも、この書に「卑弥呼」と書かれていたことから、その存在が明らかになりました。『魏志倭人伝』には、弥生時代後半に倭国の中で大きな争い(倭国乱)があったことが書かれています。それを鎮めるために複数のクニグニがともに立てた女王が卑弥呼だったのです。

 普段、彼女は一人の男性を除いて、誰とも直接顔を合せなかったようで、信託はこの男性に伝えられていました。この人物については詳しくはわかっていません。日頃は千人の侍女たちが、彼女の身の回りの世話をしていたようですが、それでも直接会えるのは限られた人たちだったようです。これほど限定された人にしか会わないのは、人に会いことによってまじないの力が衰えてしまうと考えたのか、それともミステリアスな存在として印象づけるための作戦だったのでしょうか。真実はわかりませんが、歳はいくつぐらいなのか?どんな顔をしていたのか?想像すればするほど、本当に謎が多い女王であったことは間違いありません。

 真実を解き明かすのは非常に難しいのですが、日本で唯一、弥生時代を専門に扱った博物館である大阪府弥生文化博物館の「卑弥呼の館」を参考にして、卑弥呼の暮らしを考えてみたいと思います。倭国を束ねるほどいろんな意味で力を持った人物ですから、相当大きなムラの暮らしていたはずです。佐賀県の吉野ケ里遺跡のように、ムラの周りには濠がはり巡らされ、入り口には見張りが立って厳重に警戒。遠くからの侵入者を見つけるための物見櫓も建てられて、少し物々しい雰囲気があったかもしれません。とはいえ、壕で囲われたムラの中には水田や畑ほもちろんのこと、物々交換で取引される「市」があったり、めずらしいところではブタが飼われていたり。また一区には青銅器や鉄器を造る工房もあったとされます。

 卑弥呼はというと、政治を行ったり、納めているムラからの「租賦」(今でいう税金のようなもの)や、他のクニからの貢ぎ物などが収められている高床式倉庫などが立ち並ぶムラの中央部に暮らしていたとか。そこに卑弥呼に仕える千人の侍女が暮らす建物があり、その奥の宮室と言われる住まいでときに銅鏡を使って鬼道を行い、ご信託という名の祭りごとをしていたのかもしれません。

 卑弥呼の食卓ですが、これも非常に難しいのですが、見つかった食べ物のゴミなどから、「こんなものを食べていたんじゃないか」という復元がなされています。大阪府弥生文化博物館に展示されているものを見てみると、主食は玄米にゼンマイやタケノコを混ぜ込んだ炊き込みご飯で、主菜の鯛の塩焼きにはミョウガが添えられています。副菜はサトイモ、タケノコ、豚の炊き合わせ。汁物はハマグリとイイダコのワカメ汁で、ほかにもアワビの焼物、ショウサイフグの一夜干し、炒りエゴマ風味キビモチ、アワ団子のシソの実あえがあって、口直しの茹でワラビが卑弥呼の前に所狭しと並べられていたと推測されています。当たり前ですが、一般人の食事に比べると品数は目をむくほど多く豪勢なお膳だったようです。

 ところで、それらの料理はどんな食器に盛られていたのでしょうか。見つかった弥生土器には、煮炊きに使う甕、食材貯蔵用の壷、その壷や甕の蓋、食べ物を盛る鉢や高坏があります。縄文時代とは明らかに違うものが高坏ですが、『魏志倭人伝』の中にも「飲食には籩豆(竹製と木製の高坏のこと)を用い、手づかみで食べる」と書かれていますから、高杯は一般的な食器だったということでしょう。また、高杯に付いている高い脚はなぜなのでしょうか。それは、弥生時代には机や椅子がなく、食器を床に並べて食べていたのです。そのため、食べやすくするために高い脚が付けられました。

 最後に、卑弥呼が暮らしていた場所として、いまだ大論争を巻き起こしている「邪馬台国論争」ですが、邪馬台国があったのは北九州なのか、それとも機内だったのかということで、研究者も考古学ファンもさまざまな論争を繰り広げています。卑弥呼は、弥生時代後半から勃発した「倭国の乱」と言われる各地の勢力争いを鎮めた人物だとされています。『魏志倭人伝』によると、彼女は鬼道と言われるまじないを操って人々の心を掌握し、いくつかの国を束ねる女王となりました。このいくつかの国とは、北部九州にあった対馬国一支国、未廬国、奴国、不弥国、伊都国ではないかとする研究者もいますが、意見の分かれるところです。

 これも私見ですが、邪馬台国の確かな遺跡が発掘されれば、シュリーマンが発掘したトロイの遺跡以上の考古学上の大きな偉業になると私は確信します。

(参考文献)

譽田亜紀子「卑弥呼ってどんな人?」『知られざる弥生ライフ』誠文堂新光社2019年