にわか考古学ファンの独り言(弥生時代)

 弥生前期末~中期前半(前4世紀~前3世紀)④

 青銅器の出現

 世界史的に見ると西洋では利器(武器)として使われた青銅器ですが、中国を中心とする東アジア世界では、祭器や礼器としてまつりに使われた点に特徴があります。弥生青銅器も基本的には祭器ですが、その出現期には利器として使われていました。

 弥生最古の青銅器は前8世紀末の九州北部に表れています。福岡県今川遺跡で見つかった銅ノミは、遼寧式銅剣の破片を再加工して刃を研ぎ出したものです。今川以降は前4世紀になるまで青銅器の出土例はありませんが、まったく存在しなかったわけではなさそうです。福岡市比恵遺跡第26次調査で見つかった木製の剣は、あきらかに青銅の剣を模して作られたものです。弥生人が8世紀以降も青銅製の剣を知っていたことは間違いないと思われます。

 前4世紀中ごろ(中期初頭)になると朝鮮半島製の鏡や青銅製武器が、玄界灘沿岸地域の有力者の墓に副葬品として納められるようになります。福岡市吉武高木遺跡は、早良平野を北流する室見川中流域にある後1世紀までつづく吉武遺跡群の一つで、1984年に3号木棺墓から、細形銅剣2,細形銅戈1,細形銅矛1,他鈕細文鏡1,ヒスイ製勾玉1,碧玉製管玉多数が見つかっています。(常松2006)。三種の神器として知られる鏡・県・玉がセットとして見つかったもっとも古い例なので、最古の王墓と呼ばれることも多いです。

 あと青銅器工房ですが、国産青銅器を作った工房の一つが熊本市内で見つかっています。八の壷遺跡からは、鋳型7,送風官1、同片2、鋳造残滓(銅滓)数点、炉壁の可能性のある焼土など、青銅器の鋳造に用いた道具類が出土しています。送風官はL字状で奈良県唐古・鍵遺跡や大阪府東奈良遺跡で見つかっているものと同じです。工房址自体は見つかっていませんが、焼土の配置状況から付近に工房が存在していたことは間違いないと思います。

(参考文献)

藤尾慎一郎「青銅器の出現と製作」『弥生時代の歴史』講談社現代新書2015年