にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

 弥生人はコメ至上主義?

 弥生時代の最大の特徴は、「水田稲作が始まったこと」と言えます。それなら弥生人たちは、さぞかしお米をお腹一杯食べていたことだろうと思いがちですが、事実は少し違うようです。

 弥生時代になったからと言って、縄文時代の生業である「狩猟・採取・漁撈」を止めたわけではありません。むしろ、この生業をベースに、水田稲作や畑作が行われていたのです。中には、水田稲作をやりたくても土地の条件が悪く、取り入れることができなかった集落もあったはずです。水田稲作は人手も必要ですから、やりたいと思ってもそう簡単に取り入れられなかったのかもしれません。ですから、縄文時代と同じ食料で命を繋いだ弥生人もいるのです。東北最古の水田稲作を行っていた青森県の砂沢遺跡のように、水田稲作をやってみたものの、うまくいかなかったのか、水田稲作を止めてしまう人たちもいたようです。弥生人はお米ばかり食べていたということではありませんでした。

 それでは、弥生人はお米以外にどんなものを食べていたのでしょうか。弥生時代の人々は、四季折々の食料をバランスよく取り入れて暮らしていました。イノシシやシカなどの動物性たんぱく質はもちろんのこと、木の実や豆類など、当時の人々が食べていた残飯が遺跡から見つかっています。イネと同じようにアワとキビが大陸から持ち込まれて、本格的な畑作が行われていました。雑穀類以外では、モモなどの果物類も近畿や東海地方では早い段階から栽培されていたようです。現代のように機械化されているわけではありませんから、田畑の世話は大変だったと思われます。しかし、不作や天災など、思うように作物が収穫できない時に備えて、採取・漁撈・狩猟を止めるわけにはいかなかったのです。

(参考文献)

譽田亜紀子「弥生人はコメ至上主義?」『知られざる弥生ライフ』誠文堂新光社2019年