にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

 弥生時代の竪穴住居

 弥生時代になると、鉄器の導入によって様々な木材加工ができるようになりました。例えば、竪穴住居。縄文時代から続くこの住居は、弥生時代になると縄文時代のように丸太、もしくは半裁した木材を使うだけでなく、板材も使いようになります。板材には、財を組み合わせるための孔を開けたり、端の部分を斜めに切ったりと、工夫が見られます。こうして、組み合わせることで比較的自由に建築しやすい木材の登場により、高床倉庫や佐賀県吉野ケ里遺跡で推定復元されているような大型建物が作られたと考えられます。

 また、竪穴住居の形にも変化が見られました。縄文時代はおおむね円形、もしくは楕円形で、住居内に6~8本ほどの柱を丸く立てて作られているのに対し、弥生時代になると地域や時期差はありますが、だんだんと竪穴住居の床面の形が四角になっていくのです。縄文時代は環状列石(ストーンサークル)が作られたり、環状集落が作られたりと「環」に強いこだわりが見えましたが、弥生時代になるとそれらの意識は薄らいでいったのかもしれません。四角い形に徐々に変化していったのはなぜだったのでしょうか。四角い形のほうが壁際に板材を配置しやすかった、という理由は考えられますが、それ以上に彼らの意識に何らかの変化があったのかもしれません。

 九州北部の竪穴住居は住居の中央部分に2本の柱を立て、そこに垂木を掛けて建てられた家が多く見つかっています。中には土を盛り上げて固めた土製のベットのようなものが作られた家もありました。また、鳥取県妻木晩田遺跡では、家の中に排水路を作り、建物の外に巡らした溝に水が流れるようなすごい仕組みが施されたものまで見つかっています。想像になりますが、建物によっては明り取りなどの窓を作ったかもしれません。弥生人たちは、それまで以上に暮らしを快適にするために、創意工夫をしながら日々を過ごしていたと思われます。

(参考文献)

譽田亜紀子「住居は円から四角へ」『知られざる弥生ライフ』誠文堂新光社2019年