にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

 弥生時代の世帯事情 

 縄文時代には、ひとつの竪穴住居に4人から6人ほどが一緒に暮らしていたと考えられていますが、弥生時代も同様だったようです。ただし、ひとつの集落内での住居数は増えていきます。というのも、弥生時代の食料事情は縄文時代に比べて良くなり、人口も増加したからです。多いときには、ひとつのムラに千人が暮らしていたとも言われています。

 一方、家の中というと、こちらも縄文時代と同じように、煮炊きするための土器やその他の生活道具と共に、ツルで編んだカゴに土器を入れ、そのなかに米や保存食を入れて紐でぶら下げていました(吊り棚)。ネズミや害虫に食料を食べられないようにする工夫です。弥生時代の人々は、家族や仲間同士でひとつ屋根の下で暮らし、一緒に食事をしながら楽しい団らんの時を過ごしていました。核家族が当たり前の現代より幸せだったのかもしれません。

 弥生時代の墓事情

 弥生時代には、さまざまなお墓が作られるようになります。集落の近くに作られた共同の墓地も、時期によって埋葬のされ方が変化しています。「土壙墓」と呼ばれる、地面を掘り下げて作った墓穴に直接埋葬する方法は、弥生時代を通じて広く採用されました。専用の巨大な甕を作り、別のもので蓋をした、まるでカプセルのような巨大な土器の中に埋葬する「甕棺墓」や、長方形に開けた墓穴に板石を並べて箱形の棺にした「箱式石棺墓」、木製の「木棺墓」などがあります。地域による大きな違いとしては、弥生前期の九州北部では数個の石を支えにして、その上に大きな石を蓋のように載せた「支石墓」や「甕棺墓」が多く作られました。たいして東日本では、一旦埋葬した人骨を取り出し、再び埋葬し直す「再葬墓」が多かったようです。

 また、弥生時代のお墓の大きな特徴として、土を盛ったり周囲に溝を巡らしたりして区画を示すお墓が出現します。それらは、「方形周溝墓」と呼ばれます。特別に大きなものは「墳丘墓」などと呼ばれ、この後に登場する古墳につながっていくものもあります。これらのさまざまなお墓は、大陸の影響を受けたものや、縄文時代から変わらないものもあります。お墓を見るだけでも、そのお墓を作った人々がどのような人たちだったのかを知る手掛かりになります。

(参考文献)

譽田亜紀子「世帯事情あれこれ」「移り変わるお墓のスタイル」

     『知られざる弥生ライフ』誠文堂新光社2019年