2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文時代のイネ 縄文時代に何らかの農耕があったとする、いわゆる縄文農耕論は古くから議論されてきました。たとえば在野の考古学者として著名な藤森栄一は、戦後の早い時期に、中部高地の縄文遺跡の繁栄と非狩猟的な道具の組み合わせなどから、少なくとも縄…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文人の暮らし 子供たち 当時の子どもたちにとっては、生活のすべてが遊びであり、その遊びを通して生きる知恵を獲得していったと考えられます。 女の子でありば、母親や祖母の側について、お手伝いをしながら、一緒に森に入り、どんな植物が食べられるか、…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文時代の身分階層 縄文時代が複雑で高度に組織化された社会であることから、その社会を指揮する首長層ないし貴族層などの身分階層が、縄文時代にもあったとの主張があります。たとえば小林達雄は、福岡県の山鹿貝塚で20枚をこえる貝輪をはめた女性をはじめ…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文時代の身分階層 縄文時代が複雑で高度に組織化された社会であることから、その社会を指揮する首長層ないし貴族層などの身分階層が、縄文時代にもあったとの主張があります。たとえば小林達雄は、福岡県の山鹿貝塚で20枚をこえる貝輪をはめた女性をはじめ…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文時代の分業 翡翠や黒曜石など原産地が限定されているものが、各地の縄文遺跡から発見され、このことが縄文時代に活発な「交易」があった証拠とされてきました。しかし、辞書で「交易」を引くと、「互いに品物を交換して商いすること」と説明しています。…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文社会の交流 世界の民族誌の研究によれば、採取狩猟民が食料などの資源をえている広さは、距離にして半径約10キロ、時間にして歩いて2時間の範囲であるということです。それを参考に縄文人の生業活動の広さを考えてみると、集落を中心に半径約5キロの範囲…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文人の集落 わたしたちが実際に目にする集落遺跡というのは、その集落の縄文人が住居を新築したり、改築したり、増設したり、あるいは廃居にしたりするという、彼らの活動の痕跡が時間の経過とともにつぎつぎと重なり合ったものを、発掘という手段によって…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文人の住まい 竪穴住居については前に書きましたが、今回は住居の中身と家族構成について書きたいと思います。 縄文時代の人びとは、旧石器時代の移動的な生活を脱却して、本格的に定住生活をはじめます。定住生活をするためには、当然、住まいが必要にな…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

謎を秘めた呪具 縄文土偶については前に書きましたが、今回は呪具としての土偶について書きたいと思います。 縄文人にとって豊かな幸を恵む自然は、一方で毎年決まってくり返される台風や豪雪だけでなく、時には火山の噴火や地震などの災害を引き起こしまし…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

装飾品について 世界の先史文化のなかでも、縄文人ほど造形美に優れた生活用品を残した民族はありません。実用品以外にも見事な造形品を残しています。 耳飾り、髪飾り、胸飾り、腕飾り、腰飾りなど、金属がないことをのぞけば、今日にみられる装身具の大半…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

高水準の木工・編み物技術 縄文人は狩猟具、漁労具・植物採集・加工具など、食料の獲得とその消費に直接かかわる道具類のほとんどは、早期という初期の段階で開発を済ませています。それ以後は生活用具、あるいは呪具や祭祀具など社会的・精神的な要求にもと…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

豊かさの限界 縄文時代は決して貧しい時代ではなく、サスティナビリティに富んだ豊かな時代であったことは、前にも述べてきました。しかし、その豊かさにも限界があったことは確かです。このことについて書いてみたいと思います。 真脇遺跡がイルカ漁の集落…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文時代の道具 縄文人がどのように生活していたのかは、縄文人の使った道具が雄弁に物語ってくれます。縄文人の道具といえば、その時代名称の由来となった縄文土器があります。土器の用途には、大きく煮炊き用と貯蔵用の二つがありますが、早期までは、もっ…