にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

 謎を秘めた呪具

 縄文土偶については前に書きましたが、今回は呪具としての土偶について書きたいと思います。

 縄文人にとって豊かな幸を恵む自然は、一方で毎年決まってくり返される台風や豪雪だけでなく、時には火山の噴火や地震などの災害を引き起こしました。こうした天災とならんで縄文人が恐れたのは、事故と病です。今日のように医療が発達していない時代では、ちょとした事故や病が死に直結していたからです。そうした天災や事故、病などの恐怖から逃れるために、縄文人は、呪術などの助けを借りました。また、定住社会である縄文時代は、集団生活を円滑におこなうために、儀礼や祭祀を必要としました。とくに大型の環状集落が解体し、集落が小型分散化するなど、より社会が複雑化する東日本の後・晩期に儀礼や祭祀を発達させました。

 縄文時代を代表する呪術的な遺物の一つが土偶です。土偶は、早期までは表現が稚拙ですが、乳房のふくらみなどから、当初は女性を表現していたものと考えられています。そして、時期を経るにしたがって、乳房だけでなく、妊娠を思わせる下腹部や大きな臀部、女性器などを表現する例が多くなり、土偶が女性を形象化したものであることが明確となります。

 土偶がなんのためにつくられたかは、考古学界では、いまだに大きな謎の一つです。今までにも呪具・愛玩具・護符・信仰具説などが唱えられてきました。土偶の大半が身体を欠損していることから、病気や災害などの部位の快復を土偶を破壊することで祈ったとか、あるいは妊娠を思わせる表現が多いことから安産を祈願したなどという、呪具説が有力です。

 一方、長野県の棚畑遺跡の中期の大型土偶「縄文ビーナス」のように、集落の中央広場に安置されたような状態で、ほとんど無傷のまま出土したものなどは、集団の安寧や繁栄、豊穣などを祈願した信仰説が想定されています。土偶の用途というのは一義的なものではなく、縄文社会の呪術や信仰、祭祀にかかわる遺物であったことは間違いないでしょう。

 土偶が主に女性を形象したのに対して、男性のシンボルをかたどったものが石棒です。石棒は、前期の東日本に、その先行となる形態のものが出現します。中期になると大型になるばかりか、男根の表現もリアルとなり、なかには二メートルを超えるような大型品もつくられるようになります。その石棒が後期になって、しだいに小型化するようになると、頭部の表現も抽象化され、晩期に入ると、断面が円形から扁平となって、やがて刀や剣を模したようにみえることから、石刀や石剣とよばれる精巧なものへと変化します。とくに石棒で興味深いのは、大型品が集落の共同祭祀として使われているのに対して、小型品になると、墓坑などに埋葬される例が多くなります。そこに呪術から儀式へという社会的な変化を読みとろうとする考えがありますが、今後の課題といえます。

 さて、土偶や石棒のほかにも、実用的な道具類とは違って、いまだに正確な用途がわからないものがあります。そうした用途不明の遺物に土版、岩版、石冠、御物石器、亀形土製品、土面、貝面などがありますが、いずれも時期を追って豊かになってくることだけは確かです。





(参考文献)

勅使河原 彰「謎を秘めた呪具」『縄文時代ガイドブック』新泉社2013年