にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

 装飾品について

 世界の先史文化のなかでも、縄文人ほど造形美に優れた生活用品を残した民族はありません。実用品以外にも見事な造形品を残しています。 

 耳飾り、髪飾り、胸飾り、腕飾り、腰飾りなど、金属がないことをのぞけば、今日にみられる装身具の大半は、すでに縄文人が身に着けていました。

 なかでも柔らかい石や粘土でつくった耳飾りは、縄文時代を代表する装身具です。中国の玉器である玦に似た玦状耳飾りは、早期から前期に列島の全域に広まりますが、前期末から中期初頭に衰退してしまいます。これにかわるように、土製の耳飾りが、中期から晩期の東日本に盛行しますが、とくに群馬県の地網谷戸遺跡から出土した滑車型耳飾りは、精緻な透かし彫り文様を施し、赤や黒の漆で彩色するなど原始工芸の極致といえる、まさに逸品です。

 髪飾りでは、前期の鳥浜貝塚の赤漆塗りの木製櫛が有名です。この櫛は一枚の板目材から歯を削りだしたもので、骨格製品の技法である挽歯式でつくられています。ただし、縄文時代の木製品の技法は、10本前後の歯を束ねて固定する結歯式が一般的で、歯に細い横木を渡して糸を結び、そのうえを生漆に植物繊維や木くずなどを練り混ぜたもので下地を固めて、赤漆を塗って仕上げています。

 胸飾りには、硬玉、琥珀、滑石、貝殻などの各種の材料を用いて、勾玉、丸玉、管玉、大珠などの形につくり、それらを単品で、あるいは複数組み合わせて使っています。そのほか、腕飾りは貝殻、腰飾りはシカの角を素材として、さまざまな装飾が施されています。

 こうした装身具などを美しく飾ったのが漆塗りです。日本列島で最古の漆製品は、北海道の垣ノ島B遺跡から早期前半にさかのぼるものが発見されています。前期になると、山形県の押出遺跡からは、下地に赤漆、その上に黒漆で繊細な幾何学文様を描いた彩文土器、あるいは木器に彩文土器と同じような文様を描いた木胎漆器が、破片を含めるとかなりの数が出土しています。また、漆塗りの土器や櫛などは、鳥浜貝塚や神奈川県の羽根尾貝塚などから出土していますので、縄文前期に漆工技術はすでに完成していたのです。

 漆工の工程で欠かせないのが、漆液の不純物を取り除くための濾過と、生漆中の水分を二パーセントぐらいまで蒸発させる「くろめ」という工程です。これらを怠ると、漆塗膜の光沢やきめ細かさ、赤色顔料を混ぜたときの鮮やかな色合いは出せません。そして、縄文遺跡から出土する漆製品の光沢や鮮やかな色合いをみると、縄文前期には、すでに濾過やくろめなどの工程が考え出されていたことがわかります。

 ところで、現在の伝統漆工技術と遜色ない縄文時代の漆工技術から、漆工を専門的におこなっていた専門集団の存在を想定する研究者がいます。しかし、縄文の漆製品は、低湿地など保存の条件さえよければ、どこの遺跡からも出土しますので、縄文集落での漆の使用は、日常的・恒常的であったことがわかります。ということは、縄文時代の漆工技術に専業集団はおらず、どこの集落でも用いることができるほど普及していたのです。

 また、私見ではありますが、一万年以上も前から、女性が美しい装飾品で身を着飾っている姿を想像すると、女性の本質を理解できてなぜかほっとします。平和な時代であったのだろうと思います。

(参考文献)

勅使河原 彰「見事な装飾品」『縄文時代ガイドブック』新泉社2013年