にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

 土器に描かれた絵

 弥生人たちは土器の表面や銅鐸などの絵で、当時の世界観を私たちに教えてくれます。例えば、兵庫県桜ヶ丘遺跡出土の5号銅鐸。ここにはシカと狩人、魚をとる人、臼と杵を使って脱穀する人、争う男女が描かれています。とはいえ、国内で見つかった銅鐸のすべてに絵が描かれているわけではありません。今のところ全体の11%ほどですから、特別な銅鐸だったのでしょう。

 銅鐸に描かれるモチーフはシカがもっとも多く、人、高床式建物、鳥などと限定されています。日々の暮らしを描いたのではなく、祭りの場面や神話のシーンなどが描かれていたと考えられています。

 一方、土器の表面に描かれているものを絵画土器と言い、その半数以上が奈良県田原本町天理市の清水風遺跡および隣接する唐古・鍵遺跡から見つかっています。土器には鳥の姿(鳥装)をした人物(シャーマン)が両手を広げ、ご信託を聞いているのでしょうか、2人の人物が側に描かれています。当時のシャーマンは、神の使いである鳥に扮することで、自分自身も神の使いであると表現していたと考えられます。

 土偶の後継は?

 縄文時代の特徴のひとつと言っていい、人形の焼物である「土偶」。縄文人にとって、土偶はなくてはならない祈りの道具でした。その道具は弥生時代になると、「木偶」という男女ペアの祭祀道具になります。しかし、この素材は木なので、祈りの道具といっても少し違うのかもしれません。

 では、土偶の後継は存在するのでしょうか。実は弥生時代になると、「土偶形容器」と言われるものが長野県、山梨県、神奈川県などで作られるようになります。見た目は人形をしていますが、中が空洞で、後頭部に開けられた穴から、どうやら人の骨を入れていたようです。つまり、今で言う「骨壺」です。祈りの道具であった土偶は、その姿形はなんとか引き継いでいるものの、用途はまったく違うものになったのです。そして面白いことに、土偶形容器も男女ペアで作られることが多かったようです。そこには弥生の思想が入っているということです。土偶形容器は、弥生時代の思想と縄文時代の伝統がミックスした、非常に象徴的なものだと考えられます。

(参考文献)

譽田亜紀子「絵から読み解く弥生の世界観」「消えた土偶の謎?」

     『知られざる弥生ライフ』誠文堂新光社2019年