にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

 環濠集落の出現

 弥生時代の社会を語るうえで欠かせない大きな特徴のひとつに、「環濠集落」があります。これは水田稲作と共に大陸から持ち込まれた集落のあり方で、外敵や害獣、ときには洪水などの自然災害から集落を守るために、さらにはムラの集団意識を高めるために周囲に濠を巡らしました。集落によっては、何重もの堀を巡らす環濠集落もありました。その内部には集落の人々が暮らす住居はもちろんのこと、米を保存しておく高床式倉庫や、遺跡によっては食料を貯蔵しておく貯蔵穴などがありました。また食料だけでなく、田畑を耕すために共同で使う農耕具を入れておく倉庫もあったかもしれません。

 環濠集落の「かんごう」には、「環濠」と「環壕」の2つの表記があります。厳密に言うと、「濠」と書く場合は、深く掘り下げた堀に水を巡らした状況をいい、「壕」と書く場合には、水を入れない空堀をいいます。環濠の場合、自然の河道と繋がっていることも多く、洪水対策や用水路の機能も兼ねていたようです。環濠作りは、当時としてはかなり大がかりな土木工事だったはずです。今のようにショベルカーなどの大型機械があるわけではありませんから、集落の人たちが総出で、木製の鍬などを使って手作業で掘ったのでしょう。連日続く、きびしい掘削作業にふまんはつきものですが、自分たちの暮らしは自分たちで守る、という集落に対しての愛着、そして強い連帯をもたらしたのではないでしょうか。水田稲作だけでなく、こうした大掛かりな工事を通して、集落の指導者はより権力を高め、集落の結束を促したのかもしれません。環濠集落はより強い仲間意識を作り出す装置だったとも言えそうです。

(参考文献)

譽田亜紀子「環濠集落の中はとっても安心?」

     『知られざる弥生ライフ』誠文堂新光社2019年