にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

 貝塚時代とは

 北海道と同じように、弥生時代には沖縄などの南西諸島でも水田稲作は行われませんでした。つまり、日本列島の北と南には水田稲作は広がらなかったということになります。そもそも、沖縄諸島を中心とするこの地域には、「縄文時代」と呼ばれる時代がありません。本州や九州・四国などで縄文時代と呼ばれている時期を「貝塚時代前期」と言い、弥生時代の始まりから11世紀ごろまでを「貝塚時代後期」と言います。つまり、本州などとはまったく違う時代区分が適用されているのです。では、そうした時期に、沖縄の人たちはどうやって暮らしていたのでしょうか。

 彼らは海辺の砂丘の上などに竪穴住居を建てて住まいにし、サンゴ礁の内側の広がる内湾に棲息する魚貝類を獲って食料にしていました。例えば、ウニや貝類、現在でも食べられているカラフルな魚や、時にはウミガメやジュゴンも食べていたようです。もちろん、海で魚や海獣を獲るだけでなく、陸での狩猟も行われていました。その証に、遺跡からはリュウキョウイノシシという現在も沖縄諸島などに生息する小型のイノシシの骨が見つかっています。

 実はそれ以外にも、彼らが生きて行くうえでとても重要な仕事がありました。それは、さまざまな貝製品を使って、九州の弥生人たちと交易することです。では、南西諸島の人々と弥生人の間では、どのような交易が行われていたのでしょうか。

 沖縄から遠湖離れた場所にある縄文時代の遺跡から、南西諸島産の貝輪が見つかることがたびたびあります。真っ白でつるつるした滑らかな感触、そしてきらきらと光り輝く美しい貝輪に、縄文人は心惹かれたのでしょう。また、遠路はるばるやってきた、そのような貴重なものを身につけることで、社会的な地位を誇示する道具(威信財)になっていたとも考えられます。それは弥生時代になっても変わりませんでした。大量の貝と引き換えに、自分たちの暮らしに必要なものを沖縄の人々は手に入れたのです。その中には、九州産の絹、コメ、アワ、鉄製品、ガラスがありました。ガラスの中には大陸から九州に伝わってきたものもあったと言われています。

(参考文献)

譽田亜紀子「貝塚時代とは」『知られざる弥生ライフ』誠文堂新光社2019年