にわか考古学ファンの独り言(縄文時代)

 縄文人の四季と生業について

 縄文カレンダーというイラストがあります。これは、春・夏・秋・冬の四季をつうじて、どのような植物、動物、魚類等を生業として利用したかを分かりやすく描いているものです。

 これを見ると、季節に応じて利用可能な野生の食料資源を効率よく、まんべんなく利用する縄文時代の資源利用の特徴がよく解ります。

 完新世である今日の日本列島は、1年が春、夏、秋、冬という季節の移り変わりがあります。そして、四季の変化に応じて、植物も動物も生活を変えます。完新世に向かう環境の変化の中で、植物採取・狩猟・漁撈という三つの生業部門における利用の手段と技術を確立させるとともに、それら三つの生業部門を組み合わせることによって、縄文人は列島の四季の変化に対応し、これを巧みに利用する生活をしていました。

 春ー山菜つみと貝の採取

 春になると、集落のまわりの野山にはフキやワラビ、ゼンマイ、ノビルなどの山菜や、タラノキなどの新芽が芽吹きます。長い冬の間、新鮮な味にありつくことができなかった縄文人にとって、春のおとずれとともにはじまる山菜つみは、待ちこがれた楽しみでありました。また、水が澄んだ海辺ではハマグリやアサリ、河口付近や汽水湖ではヤマトシジミなどの貝の採取が盛んとなります。

 夏ー海と川の漁

 夏は漁労が最も盛んになる季節です。貝塚から出土する魚骨の中でもっとも多いのがマダイ、クロダイ、スズキです。マダイは成長するにしたがって、生活を沖のほうに変えますが、春から秋に産卵のために岸の近くにやってきます。スズキはマダイと違って、冬に越冬と産卵のために海の深いところに移動し、春から秋にかけて餌を求めて浅いところにやってきます。こうした魚の習性からも、縄文人が夏に盛んに漁をしていたことを知ることができます。

 一方、川では産卵のために、初夏になるとマスが川に上がってきますが、このマスも縄文人にとっては大切な食料となりました。夏は海と川の漁の季節であったのです。

 秋ー木の実の採取と川の漁

 秋は木の実がみのるときです。落葉広葉樹林ではトチの実やナラなどのドングリ類、照葉樹林ではシイの実やカシなどのドングリ類、さらに集落の周囲の雑木林ではクリやクルミが、たくさんの実をつけます。この堅果類は保存することができ、栄養価も非常に高かったため、縄文人のもっとも重要な食料資源となりました。また、ヤマノイモやクズ、ワラビなどの根茎類も、秋を告げる食料でしたし、さらにわずかでしたが栽培植物も利用されていました。

 一方、川では産卵のために、大量のサケが川を上がってきます。サケは動物性たんぱく質として、干物や燻製にされ、長い冬を支える大切な食料となりました。食料が乏しくなる冬を乗り切れるかどうかは、この冬の労働にかかっていたのです。

 冬ー狩り

 シカやイノシシなどの動物は、長くてきびしい冬を乗り切るためには、秋の実りをたっぷりと食べておかなければなりません。そのために晩秋から冬の動物の肉は、脂がもっとものっていました。また、森林の下草が枯れた冬が、獲物を捕らえるのにも適していました。冬は縄文人にとって狩猟の季節だったのです。