にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

 縄文人の植物利用

 縄文時代の植物利用の研究史について少し書いてみたいと思います。

 最初は、1980年以前で、縄文時代の人びとは多種多様な野生植物を採取し、加工していたことが遺跡出土の木の実や木製品から明らかになってきた時期です。縄文時代の人びとは狩猟・採集を中心に生活し、採集した野生植物を適宜加工して利用していたと考えられていました。こういった考えが大きく変わってきたのは1980年代になってからです。植物が豊富に残る低湿地遺跡の調査が行われるようになり、単なる野生植物の採集だけではない、縄文人と植物との積極的な関わりがみえてきました。低湿地遺跡では生の植物遺体が良好な状態で残っており、ドングリなどを貯めた穴や木の実を利用するための施設などから、植物の具体的な保管・加工方法がわかります。縄文人の植物利用の痕跡の具体例を挙げると、貯蔵穴や水場遺構、クルミ塚、トチ塚、編物などがあります。貯蔵穴は木の実の貯蔵、水場遺構はアク抜きなどをする場所で、クルミ塚やトチ塚は利用した植物を廃棄した跡です。さらに目に見える植物だけでなく、土地を回収して洗って小さい種実を顕微鏡で調べる作業や、木製品に使われる樹木だけでなく、自然木とよばれる人間の加工の痕跡がない木の樹種も調べる調査が積極的に行われ、どんな植物を選択して食べていたのか、あるいは利用していたのかがみえてきたのです。

 2000年以降になると、植物利用の新たな証拠が続々と発見されました。これには同定方法の開発と分析技術の開発という二つの大きなきっかけがありました。「同定」とは、植物の種類を調べて特定する作業を指しますが、高精度な同定が行われるようになりました。これまでは大きなくくりの「属」レベルで同定されていた植物遺体が、「ウルシ」などの種レベルで同定できるようになったのです。たとえば縄文時代におけるウルシの樹液の利用は戦前から漆器の利用というかたちでわかっていましたが、植物としてのウルシの存在は認識されていませんでした。2004年以降にウルシが木材をはじめ、果実や花粉で識別できるようになり、集落周辺にウルシが生育していた様子がわかってきたのです。 

 また、分析技術の開発によってこれまであまり研究の対象になっていなかった資料から、新たな植物利用の痕跡が発見されました。土器表面の圧痕の中にシリコンを流して型どりをしてたねの種類を調べる「レプリカ法」や、石器などの凹みに残る植物のデンプンを調べることによって、どのような植物を利用したかを研究する「デンプン分析」、脆くて薄いかご類や繊維の素材を固定する「樹脂包埋切片法」などの技術が発展し、どのような植物が利用されていたのかを具体的に議論できるようになってきました。

 さらに、分析方法や技術の発展によって種のレベルで明らかになった植物の生態を考慮することによって、「集落の周辺にどのような植物資源の利用空間があるか」がみえてきました。たとえば、縄文時代の花粉を調べると、クリばかりが出てくる遺跡があります。自然界ではクリが純林になることはありません。現在の植物生態と比較した結果、縄文人がクリを管理していた可能性が指摘されています。縄文人は植物をただ集めて自然の恵みを享受するだけでなく、環境を使いやすいように改変し、集落周辺の資源管理をしていたという様相がみえてきたのです。

(参考文献)

工藤雄一郎「2000年以降、みえはじめた三つの側面」

『ここまでわかった!縄文人の植物利用』新泉社2014年