にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

 クリ林について④ 下宅部遺跡とお伊勢山遺跡

 下宅部遺跡ではクリやウルシの森林資源を管理して、それを盛んに利用していましたが、集落周辺における森林資源の利用が総体としてどのように捉えられるのかについて、近傍のお伊勢山遺跡と比較しながら検討してみます。お伊勢山遺跡は狭山丘陵の北側にあり、下宅部遺跡とほぼ同時期の遺跡です。ここではかなりの面積を掘ったのですが、人為的な利用の痕跡はほとんど認められませんでした。

 お伊勢山遺跡と下宅部遺跡から出土した木材の組成を比較しました。お伊勢山遺跡は人間が住んでいた痕跡がないため、人間が使っていない木材しか出ていません。ここでどういう樹種が出ているのかをみてみると、二次林に多い樹木と自然林に多い樹木が出ています。

 では、お伊勢山遺跡に比べると、下宅部遺跡における縄文人の樹種選択と利用がどのように見えるでしょうか。まずウルシは、中国原産の木で、日本では人が生育場所の管理を行わないと在来の木に負けて生育できない木ですので、明らかに人間が栽培したものの存在を示しています。クリはこれまでみてきたように、縄文人が資源を維持・管理して活用していた木です。一方、二次林というのは、薪炭材や身近な素材などを採りにしょつちゅう縄文人が入っていた、現代の里山的な林で、そういう二次林の樹種もさかんに使っています。そして自然林の樹種は、二次林の樹種に比べて人間が使っていた量がやや少なく、やはり自然林は、丸木弓としてのイヌガヤや、飾り弓としてのニシキギ属、石斧柄としてのコナラ節、容器としてのトチノキのように、特別の用途にふさわしい木材が欲しいときに入っていって利用したものではないかと思います。

 二次林と自然林というのは、管理したクリ林やウルシ林の外にある野生植物の資源利用を示していると思います。また面白いことに、モミ属は自然林にはたくさん生えていたのですけれども、縄文人たちはまったく使っていません。おそらくモミ属は彼らの利用技術や用途にそぐわなかったのでしょう。このように、縄文人はクリ林ウルシ林といった身近な森林資源を管理しながら使っていましたが、それ以外の資源もさまざまなレベルで利用していたことがみえてきました。 

 では、こうした森林資源を縄文人はどういう空間のなかに配置して管理していたのでしょうか。居住域があると、彼らはまずクリの生産と管理に適した所にクリの多い林をつくって利用したのでしょう。そしてその周辺にはウルシの林を育てて漆液を採取して、漆器を製作していました。長い間利用する構築物、すなわち住居や大型の水場遺構などをつくる際には、クリ林の資源をかなり活用したのでしょう。同時に、水湿に強いウルシの木材もクリについで、低地に構築物をつくる際には活用していました。一方、短期間しか利用しない構築物をつくる際には、クリ林の資源は温存して、クリは構造部材にのみ用い、それ以外の部分にはクリ林の周辺部や二次林に生育した雑木類を使っていました。薪炭材も、クリ林とその周辺にあった二次林でもっぱら収集していたのでしょう。そして、特定の木製品や構築物にふさわしい材質をもつ木材が欲しい場合には、より遠方の自然林にまで行って、その素材を採ってきて使っていたと考えています。

 以上みてきたように縄文人は決して単なる狩猟採取民ではなく、少なくとも植物に関しては集落周辺において明瞭に資源管理を行って、それを柔軟に活用していたのです。

(参考文献)

工藤雄一郎「どう森林資源を管理し利用したか」

     『ここまでわかった!縄文人の植物利用』新泉社2014年