にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代)

 旧石器時代の海洋航海者

 長野県野辺山高原の矢出川遺跡の黒曜石製細石刃石核五点が神津島産でした。本州中央高地の矢出川遺跡と、太平洋沖に浮かぶ神津島とは200キロもの距離を隔てています。しかもその間には海が存在し、氷河期に100m以上海面が低下しても、神津島と本土とは陸続きにはなりません。

 その結果に強い関心をもった私(堤隆)は、蛍光X線分析で黒曜石の産地推定を進めている考古化学者の望月明彦先生と組んで、矢出川遺跡の黒曜石細石刃石核の産地推定を徹底的に進めました。結果、黒曜石細石刃石核類451点のうち、三分の一にあたる157点が神津島産黒曜石であることが判明したののです。他の多くは地元信州産の黒曜石でした。

 1970年代、鈴木正男博士はいち早く南関東の旧石器遺跡の産地推定を試みて神津島産黒曜石の存在を確認し、その石が海を渡ったと考えました。その後神津島産黒曜石は、南関東や静岡の遺跡でも確認され続け、もはやその持ち込みに疑義を挟めなくなりました。

 もちろん石がひとりでに海を渡るはずはないので、旧石器人が船を使って運び出したとしか考えられません。しかしどんな船なのでしょうか。

 縄文の遺跡からは、斧で丸太をくり貫いた丸木舟が出土します。この船で物資を輸送したことがわかります。しかし、旧石器時代の船は未発見です。また、後期旧石器時代の後半期には斧などの木工具が不在で、丸太をくり貫くことができたかどうかは疑問です。

 ベーリング海アリュート人のハンターたちは、動物の皮を張ったシーカヤックを作り、波しぶきの散る海へと漕ぎ出します。これなら斧などが無くとも制作は可能です。動物の骨や木の枝などで骨格を組み、掻器でなめした皮などを貼れば大丈夫です。

 神津島産の黒曜石は、細石刃の遺跡のみならず、4万年前の後期旧石器時代初頭の遺跡からもたくさん発見されています。つまり、日本列島にやってきたホモ・サピエンスたちは、その当初から航海技術を身につけていたということになります。

 そうした彼らは、東南アジアから黒潮に乗って、台湾・琉球・九州や本州沿岸部にたどり着いた「最古の海洋航海者」であったと小田静夫博士は仮説を立てています。また、後期旧石器時代初頭にはたくさんの石斧が見つかっており、当初はこうした斧を用いて船が造られたのではないかと、使用痕研究の山田しょう博士は考えます。

 偉大なる旅といわれるホモ・サピエンスの拡散は、日本列島だけでなく、5万年前のオーストラリアの大陸にもおよび、アボリジニの遠い祖先となりました。この時も大陸は海と隔てられていたため、船がなければ渡ることができませんでした。勇気ある最古の航海者は、いったいどのような船を操って、海原を越えたのでしょう。

(参考文献)

堤隆「最古の海洋航海者」『旧跡時代ガイドブック』新泉社2009年