にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

 陥し穴について 

 遠く富士の雄姿を望む箱根山麓の初音ヶ原遺跡の尾根には、人をすっぽりと飲み込んでしまうほどの穴が赤土に掘り込まれていました。箱根山麓を生活の舞台に組み込んだ旧石器人たちが掘った穴です。スコップなどの掘削具のない時代、おそらく木の棒などでこの穴を掘ったのかもしれません。いずれにせよかなり困難な作業だったと思われます。

 ラッパ状に開いた土坑と呼ばれる穴は、平均的には、開口部の大きな深さともに1,5mほどのものでした。発掘を続けていくと、穴が連綿と続いていました。結局60基ほどの土坑が見つかり、尾根を横切るように幾重にかめぐらされていることがわかりました。姶良Tn火山灰の下から見つかったこの土坑には三万年前をさかのぼる年代が出されています。

 この土坑は、陥し穴であることは疑いようもありません。それまで旧石器時代の狩猟といえば、石器を柄の先につけた石槍猟が漠然と想定されていましたが、陥し穴という罠にかける猟があったことを裏付ける発見です。こうした旧石器時代の陥し穴は、現在では箱根・愛鷹山麓を中心にいくつかの遺跡が見つかっています。では、いったいどんな動物を、どのようにして獲ったのでしょう。

 これは、動物が落ちるのを待った縄文時代のような陥し穴ではなく、集団で動物を陥し穴まで追い込み、その場でとどめを刺すという狩猟法を想定しています。陥し穴のある場所が「尾根に沿って動物の群れを追い落とすことのできる地形」と評価します。ナウマンゾウやオオツノジカなどの大型獣にもこの陥し穴は適用可能であったといいます。一方、ナウマンゾウなどの大型獣は想定せず、移動するシカやイノシシを落として獲ったと考える研究者もいます。

 この陥し穴について、追い込みによって短時間に獲物を得るものか、見回りなどを定期的におこなって獲物が掛かるのを時間的に待つものと評価するかは、重要な論点の違いとなります。後者の場合、遊動生活が基本であった旧石器人でも、通年居住とはいわないまでも、一定程度の滞在をしなければ見回れないことから、その生活スタイルについての考えを改めなければならないからです。

 こうした陥し穴は、本州では箱根・愛鷹山麓以外に横須賀で発見されています。この地域の生態系に適応した独自の行動戦略であり、狩猟システムであると評価していいかもしれません。

 2007年、今度は鹿児島県種子島の大津保畑遺跡で12基の土坑が見つかったと報道がありました。その深さは1,2~1,4メートルほどで、上部はラッパ形に開いています。下部はフラスコ状に膨らむものがあって、獲物を逃げにくくする工夫かもしれません。これも三万年を超す古さのもので、大きさから中・小型獣の陥し穴とみて間違いないでしょう。

(参考文献)

堤隆「仕掛けられた陥し穴」『古墳時代ガイドブック』新泉社2009年