にわか考古学ファンの独り言(旧石器時代その②)

 旧石器の進化

 人類が持った最初のツールである旧石器は、狩りをする、調理する、あるいは道具を製作するために用いられ、自らの生命をゆだねる道具として、創意工夫をもって進化を遂げてきました。また、石器を保有する集団によっても、そのデザインが異なりました。

 富士山の火山灰などが厚く積もった箱根・愛鷹山麓や相模野台地武蔵野台地などでは、深いローム層の中から石器が発見されます。「地層累重の法則」により古い石器ほど下の地層に埋もれており、いくどかの生活の痕跡が積み重なってみられます。ひとつの地層から発見される一定の時間内の石器群のまとまりは「文化層」などとも呼ばれています。遺跡や遺物を、時系列に順序だてて並べる歴史的枠組みを「編年」といいます。

 神奈川県海老名市の柏ケ谷長ヲサ遺跡では、地上より六メートルほどの深さにおよんで時期の異なる十三枚の石器文化層が発見され、石器群の編年が組まれました。石器を包含するローム層は、明るい色の部分と暗い色の部分とがあって、地層の違いがよくわかります。暗い色の部分は黒色帯と呼ばれています。

 その第二黒色帯の下の明るいローム層中には、きな粉のような火山灰がぽつぽつと含まれていました。これは姶良Tn火山灰(AT)と呼ばれるもので、およそ29000年前の鹿児島湾北部の姶良カルデラの巨大噴火によって、国内各地に降った広域火山灰です。日本列島の後期旧石器時代は、この火山灰を目安に、前半と後半に分けられます。

 後期旧石器時代初頭の第1期、列島にやってきたホモ・サピエンスたちは刃を磨いた石斧と台形様石器を手にし、環状のキャンプを設けて、新たな生活をスタートさせました。第Ⅱ期には人びとはナイフ形石器を技術開発します。AT火山灰が降り、後期旧石器時代後半期になると、地球は酸素同位体ステージ2のきわめて寒冷な気候に突入します。柏ケ谷長ヲサ遺跡ではこの第Ⅲ期文化層が充実してみられましたが、その中には皮なめしの道具である掻器がふくまれ、寒冷な気候に適応した皮革衣類などが作られたことがうかがえます。第Ⅳ期には石刃を素材としたナイフ形石器が発達、第Ⅴ紀には尖頭器が作られ、第Ⅵ期には日本列島を覆うように細石刃技術が発達し、やがて縄文時代が幕を開けます。

 旧石器時代、礫器などとして手に持たれた武器は、やがて手の延長であるヤリ先に括り付けられ、縄文時代には弓矢という飛び道具に進化しました。戦国時代の日本には鉄砲が伝来し、銃は機関銃になり、ミサイルになり、核兵器になって、人類自らを脅かしています。道具の長い歴史は、人間社会にどのようなことを伝えてくれているのでしょうか。

(参考文献)

堤隆「旧石器の進化」『古墳時代ガイドブック』新泉社2009年