2023-01-01から1年間の記事一覧

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生時代の世帯事情 縄文時代には、ひとつの竪穴住居に4人から6人ほどが一緒に暮らしていたと考えられていますが、弥生時代も同様だったようです。ただし、ひとつの集落内での住居数は増えていきます。というのも、弥生時代の食料事情は縄文時代に比べて良く…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生時代の竪穴住居 弥生時代になると、鉄器の導入によって様々な木材加工ができるようになりました。例えば、竪穴住居。縄文時代から続くこの住居は、弥生時代になると縄文時代のように丸太、もしくは半裁した木材を使うだけでなく、板材も使いようになりま…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生人のコメの炊き方 前回で、弥生人は縄文時代と同じように、肉や魚介、木の実、山菜、果実類など、四季折々の食物をバランスよく食べていたという話をしました。とはいえ、弥生時代といえば、やはり気になるのはお米のことです。現代人の多くが食べるお米…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生人はコメ至上主義? 弥生時代の最大の特徴は、「水田稲作が始まったこと」と言えます。それなら弥生人たちは、さぞかしお米をお腹一杯食べていたことだろうと思いがちですが、事実は少し違うようです。 弥生時代になったからと言って、縄文時代の生業で…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

隣の芝生は青かった? 縄文時代に比べて、圧倒的に争いの痕跡が多く見つかっているのが弥生時代です。やむに止まれず争いに発展することもあったはずですが、その原因は、そもそも争いの種になることが目に見えて増えたからだとも言えそうです。 例えば、米…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

争いのはじまり 日本列島では、弥生時代になって、富や食料などを巡って争いが始まったと言われています。弥生時代には、コメという富の発生に加え、土地や水を巡る争いなど、人と争う火種の要因が多くあり、そこに背景がありそうです。それを証明するように…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

環濠集落の出現 弥生時代の社会を語るうえで欠かせない大きな特徴のひとつに、「環濠集落」があります。これは水田稲作と共に大陸から持ち込まれた集落のあり方で、外敵や害獣、ときには洪水などの自然災害から集落を守るために、さらにはムラの集団意識を高…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生時代の外交 本格的な大陸との付き合いは弥生時代から始まっており、卑弥呼もそのかじ取りをした人のひとりといえます。外交の相手は3世紀の中国、三国時代の王朝のひとつ「魏」でした。魏は、卑弥呼も登場する『「魏書」東夷伝倭人条』(略称・魏志倭人…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生時代の外交 本格的な大陸との付き合いは弥生時代から始まっており、卑弥呼もそのかじ取りをした人のひとりといえます。外交の相手は3世紀の中国、三国時代の王朝のひとつ「魏」でした。魏は、卑弥呼も登場する『「魏書」東夷伝倭人条』(略称・魏志倭人…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

邪馬台国について(その②) 女王・卑弥呼とは、どういう人物だったのか?そして、邪馬台国はどこにあったのか?今も多くの人を惹きつけてやまない謎です。しかし、「卑弥呼」「邪馬台国」という言葉が先に立ち、彼女の生きていた時代が弥生時代の終り頃だっ…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

邪馬台国について 最近、吉野ケ里遺跡の石棺が話題になっているので、邪馬台国について書いてみようと思います。 邪馬台国と卑弥呼は、三世紀の中国の歴史書『三国志』の「魏志・東夷伝・倭人条(通称・魏志倭人伝))」に出てくる国と女王の名前です。三世紀…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

列島に異なる文化が存在した時代 縄文時代晩期、東北地方で遮光器土器が盛んに作られていたころ、北部九州では、渡来人ともともとその地に暮らしていた縄文人によって、水田稲作を暮らしの中心に据えた弥生文化がはじまりました。つまり、南北に長い日本列島…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

弥生人はどこから来たの? 弥生時代に生きた人びとのことを、弥生人と呼びます。弥生人は、一言では語れないほど多様な文化、DNAを持った人々です。そして、「渡来系弥生人」と「縄文系弥生人」に分かれます。渡来人とは大陸由来のDNAを持ち、水田稲作と金属…

にわか考古学ファンの独り言(弥生時代その②)

前回のにわか考古学ファンの独り言(弥生時代編)では、炭素14年代測定法の衝撃により弥生時代の開始年代が500年もさかのぼったため、紀元前10世紀から紀元後3世紀まで年代順に弥生時代の歴史を書いてきましたが、今回からは、弥生時代の生活の様子を分かり…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文時代に学ぶこと 縄文時代は、一万年近くもつづくというように、世界史でも例をみないほど安定した社会を築きました。しかも、縄文土器や漆工技術などに代表される原始社会の極致とよばれるほどの高い技術を示し、その内容も、先史文化では類をみないほど…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文から弥生へ 縄文人は、早い時期から栽培植物を利用していながら、日本列島が畑作に不適な自然条件ということもあって、列島の環境の多様性を最大限に利用する獲得経済の段階にとどまっていました。そうした縄文時代の獲得経済を変革する技術革新が大陸か…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文時代のイネ 縄文時代に何らかの農耕があったとする、いわゆる縄文農耕論は古くから議論されてきました。たとえば在野の考古学者として著名な藤森栄一は、戦後の早い時期に、中部高地の縄文遺跡の繁栄と非狩猟的な道具の組み合わせなどから、少なくとも縄…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文人の暮らし 子供たち 当時の子どもたちにとっては、生活のすべてが遊びであり、その遊びを通して生きる知恵を獲得していったと考えられます。 女の子でありば、母親や祖母の側について、お手伝いをしながら、一緒に森に入り、どんな植物が食べられるか、…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文時代の身分階層 縄文時代が複雑で高度に組織化された社会であることから、その社会を指揮する首長層ないし貴族層などの身分階層が、縄文時代にもあったとの主張があります。たとえば小林達雄は、福岡県の山鹿貝塚で20枚をこえる貝輪をはめた女性をはじめ…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文時代の身分階層 縄文時代が複雑で高度に組織化された社会であることから、その社会を指揮する首長層ないし貴族層などの身分階層が、縄文時代にもあったとの主張があります。たとえば小林達雄は、福岡県の山鹿貝塚で20枚をこえる貝輪をはめた女性をはじめ…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文時代の分業 翡翠や黒曜石など原産地が限定されているものが、各地の縄文遺跡から発見され、このことが縄文時代に活発な「交易」があった証拠とされてきました。しかし、辞書で「交易」を引くと、「互いに品物を交換して商いすること」と説明しています。…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文社会の交流 世界の民族誌の研究によれば、採取狩猟民が食料などの資源をえている広さは、距離にして半径約10キロ、時間にして歩いて2時間の範囲であるということです。それを参考に縄文人の生業活動の広さを考えてみると、集落を中心に半径約5キロの範囲…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文人の集落 わたしたちが実際に目にする集落遺跡というのは、その集落の縄文人が住居を新築したり、改築したり、増設したり、あるいは廃居にしたりするという、彼らの活動の痕跡が時間の経過とともにつぎつぎと重なり合ったものを、発掘という手段によって…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文人の住まい 竪穴住居については前に書きましたが、今回は住居の中身と家族構成について書きたいと思います。 縄文時代の人びとは、旧石器時代の移動的な生活を脱却して、本格的に定住生活をはじめます。定住生活をするためには、当然、住まいが必要にな…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

謎を秘めた呪具 縄文土偶については前に書きましたが、今回は呪具としての土偶について書きたいと思います。 縄文人にとって豊かな幸を恵む自然は、一方で毎年決まってくり返される台風や豪雪だけでなく、時には火山の噴火や地震などの災害を引き起こしまし…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

装飾品について 世界の先史文化のなかでも、縄文人ほど造形美に優れた生活用品を残した民族はありません。実用品以外にも見事な造形品を残しています。 耳飾り、髪飾り、胸飾り、腕飾り、腰飾りなど、金属がないことをのぞけば、今日にみられる装身具の大半…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

高水準の木工・編み物技術 縄文人は狩猟具、漁労具・植物採集・加工具など、食料の獲得とその消費に直接かかわる道具類のほとんどは、早期という初期の段階で開発を済ませています。それ以後は生活用具、あるいは呪具や祭祀具など社会的・精神的な要求にもと…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

豊かさの限界 縄文時代は決して貧しい時代ではなく、サスティナビリティに富んだ豊かな時代であったことは、前にも述べてきました。しかし、その豊かさにも限界があったことは確かです。このことについて書いてみたいと思います。 真脇遺跡がイルカ漁の集落…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

縄文時代の道具 縄文人がどのように生活していたのかは、縄文人の使った道具が雄弁に物語ってくれます。縄文人の道具といえば、その時代名称の由来となった縄文土器があります。土器の用途には、大きく煮炊き用と貯蔵用の二つがありますが、早期までは、もっ…

にわか考古学ファンの独り言(縄文時代その②)

コラム④ 東京都埋蔵文化財調査センター見学記 令和5年5月28日(日)に東京都埋蔵文化財調査センターを訪れたので、その感想を述べたいと思います。 稲城・多摩・八王子・町田の四市にまたがる、東西14km、南北2~4km、総面積3000hという広大な面積を有する多…