にわか考古学ファンの独り言(古墳時代)

 副葬品について 

 盗掘されていない古墳の埋蔵施設からは、様々の遺物が出土します。死者に添えられたこれらの品々を副葬品と呼びます。棺の中に納められた品、棺の外の墓室の中に置かれた物、室外(槨外)に置かれた遺物では、それぞれ性格が異なりますが、総じて被葬者が所持した宝器や、その遺体を守る呪具が中心となります。目を奪われる宝飾具も多く、残りも良いことから、古墳副葬品は古墳時代研究の主体を占めている状態にあります。

 副葬品の品目は、次のように時期によって異なります。

 前期

 青銅器、腕飾りなどの石製品、玉類、武器などが主体であり、この品目から首長が司祭者の側面を強くもっていたことが指摘されます。残された人骨からは女性首長も多かったことが知られます。副葬品の中でも貴重なのは鏡で、中国鏡が珍重されました。前半期には三角縁神獣鏡が重視され、その形式や同型品の動きからヤマト王権と首長間の関係が議論されます。後半期には中国鏡の入手が滞り、国産鏡が副葬されます。石製の腕飾りはあくまで儀器で、石材に恵まれた北陸地方でつくられ、ヤマト王権を介して配布されました。

 中期

 鉄の甲冑や刀剣が充実し、鉄鉾や鉄鏃が量を増します。甲冑は鉄板を綴じた短甲と二種類の冑がみられます。ヤマト地域の古墳では武器・武具を大量に埋納しており、首長の性格が武人に移行し、多量の武器を装備していたことが明らかです。武装の強化は、当時の倭国朝鮮半島に進出していたことに関係します。中期後半以降は、冠・帯金具履など外来の装身具、さらの馬具が加わり、特に金銅装の華麗な製品が珍重されました。

 後期

 中期の品目を引き継ぎますが、国産品が多くなり、装身具や馬具の大型化・多様化が進みます。また、玉類の種類が格段に増加します。甲冑は、短甲から挂甲に推移しますが、中期のような大量の埋納はなくなります。新たに装飾大刀が副葬品に加わり、後期後半には倭製の装飾大刀がつくられ、ヤマトから配布されます。これらは実用品ではなく、あくまで儀礼用の見せる大刀です。また、横穴式石室の導入によって、死者に食物を献ずる土器も墓室に入れられるようになりました。最後には大陸系の銅製容器が加わります。

 副葬品の品目の変化は、各地の首長の性格が、司祭→武人→官僚と移り変わることをあらわすとともに、渡来文物の珍重から国産化といった工芸技術の推移を知ることができます。こうした貴重品は、例外はあるにしても基本的にヤマト王権が中国や朝鮮半島から移入し、あるいは二元的に制作して、各地の豪族に配布されたと考えられており、副葬品にはヤマトからの威信財の傾向がダイレクトに反映されています。このため、中央が威信財の流通・配布を支配することで成り立っていた古墳時代の社会システムを、副葬品のあり方から考えることが可能となるのです。

(参考文献)

若狭徹「時代をうつす副葬品」『古墳時代ガイドブック』新泉社2013年