にわか考古学ファンの独り言(弥生時代)

 「イネと鉄」の時代の弥生文化から「イネと石」の時代の弥生文化

 前回の炭素14年代測定の衝撃により、弥生時代の開始年代が前5~前4世紀から前10世紀に約500年さかのぼっても、水田稲作を伝えた人たちが朝鮮半島南部の青銅器文化に属する人びとであったことは変わりません。変わったのは彼らが海を渡った理由と所持していた道具です。

 前5~前4世紀であれば、彼らは戦国時代末期の戦乱から逃れて南下する中国東北地方の人びとに押し出されるように海を渡ったとされています。それは彼らの遺志ではなく、仕方なく玉突きにあって押し出されたという受け身的な行動でありました。旧来の考古学の本でもそのように記述されています。

 しかし前10世紀の中国東北地方に国家間の戦乱はありません。はるか遠く離れた中原にこそ西周王朝が成立していましたが、東北地方は中原系の青銅器文化を持ち畑作を行う諸民族が暮らす辺境の地であります。国家間の戦乱とは無縁の世界でありました。

 彼らが海を渡った原因は朝鮮半島南部社会の中にありました。農耕社会の発展によって生じた首長制社会の諸矛盾(社会の階層化)を避け、自ら新天地を求めて青銅器時代人は海を渡ったと考えられます。決して受け身的な動機ではありません。

 前5~前4世紀に始まる弥生文化は、農業が始まった当初から鉄器を使用した世界で唯一の先史文化でありました。鉄器を知った弥生人はわずか100年で、脱炭や鍛錬鍛治など高度な技術を駆使して利器に適した銅を国産化。農業の開始後わずか400年で達成された鉄器化は、世界にも稀にみるスピードで古代化を達成する大きな原動力となりました。今までの弥生時代の歴史は、そのように記述されるのが正解でした。

 しかし前10世紀に弥生文化が始まるとなると話は違ってきます。まず、大陸系磨製石器を利器として農業が始まります。鉄器が使われ始めるのは、燕での鉄器生産が本格化する前5~前4世紀になってからで、弥生文化が始まってからすでに600年を過ぎたころであります。

 世界の先史文化は、一般に磨製石器を利器とする農業の始まり→青銅器の使用開始→鉄器の使用開始の順に、利器の材質が変化します。それに対して弥生文化は、農業の始まりと同時に鉄器が使われ、その後、祭器・礼器として青銅器が使われるようになるという、世界で唯一の先史文化として位置づけられてきました。中国や朝鮮半島では農業の開始と鉄器の出現は一致せず、まず青銅器が現れてから鉄器が出現します。

 しかしAMS-炭素14年代測定の結果、農業(水田稲作)の始まりが500年もさかのぼったことによって、日本列島の農業の始まりと鉄器の出現が一致しなくなりました。青銅器は農業が始まってから200年ほどたってから、鉄器はさらに400年ほどたってから現れたことが明らかになりました。つまり世界の先史文化と同じく、弥生文化の金属器の歴史も農業が始まってから、青銅器、鉄器の順に出現することになります。

 弥生文化は石器だけが利器であった前半の600年と、石器と鉄器が利器として使用された前期末以降の後半の600年からなるといってよいであろうと思われます。実質的に弥生文化の金属器は、青銅器、鉄器ともども水田稲作が始まってから約600年後に出現したとみてよいと思います。

(参考文献)

藤尾慎一郎「鉄器のない水田稲作の時代」「イネと鉄からイネと石の弥生文化へ」

     『新弥生時代吉川弘文館2011年