にわか考古学ファンの独り言(古墳時代)

 埴輪とは

 埴輪といえば、人や動物、家などをかたどった形象埴輪がイメージされます。しかし、これらは埴輪の中でも後発組で、最初につくられたのは円筒埴輪でした。

 円筒埴輪

 円筒埴輪は文字どおり土管のような埴輪で、墳丘や周堤帯などをめぐって列状に並べられました。古墳という聖域を邪悪なものから守るバリケードです。もともとは弥生時代後期の王墓に供えられた特殊器台がそのルーツですが、古墳時代前期初頭になると、特殊器台が筒形に省略され、王の遺体が埋められた墳頂部囲んで配列されるようになります。これが円筒埴輪で、その後もずっと継続し、6世紀末から7世紀初めまで古墳の表面を飾るものとして作りつづけられました。

 円筒埴輪は国内に広く分布し、長い期間の中で同調した変化をたどっていきます。このため考古学者は、これを年代の基準として用います。古墳を丹念に歩いては小さな埴輪片を拾い上げ、「この古墳は5世紀後半だ」などと鑑定するのです。

 ひとつの古墳に並べられた円筒埴輪の数は半端ではありません。例えば群馬県高崎市保渡田八幡塚古墳は墳丘長96mの前方後円墳で、二重の濠をめぐらしていますが、ここに配列された円筒埴輪の総数はなんと6000本です。その背後に、埴輪づくりの工人たちが組織され、窯などの生産体制と供給体制が整えられていたことを知ることができます。

 形象埴輪

 物をかたどった形象埴輪は、前期中ごろに誕生します。王の魂の在所を守るため、古墳頂上に壷・家・盾・靫(矢を入れる道具)・蓋(王にさしかける笠)を模した埴輪を置いたのがはじまりです。前期末には、墳丘の裾に「造出」という儀礼の場所が設けられています。造出は方形で斜面に石を張りこちらの世界と濠の向こうの死後世界のあいだに位置取りされています。造出には、家・盾・水鳥・蓋・壷・導水祭祀施設などの埴輪が並べられており、死んだ首長が宿る居館が表現されていたと考えられます。

 つづいて、中期の5世紀中頃までに人物や主要な動物埴輪が登場し、二重の濠のあいだにある内堤の上などに置かれます。人物・動物は群像として製作・配置され、墓参の人びとに見えるように配置されたのです。群像はいくつもの場面を集め、生前の王の姿やその役割を、配下の人びとに忍ばせる役目を負っていました。神をまつる王と巫女と近臣、猪猟や鹿猟の様子、鵜飼や鷹狩、相撲の情景、武威の様子、王の財産であった馬など、複数の場面が集まって埴輪群像となっているのです。

 王が生前に神をまつり社会を安定させたこと、財を集め、集団に富をもたらしたこと、そうした首長の生前の姿を人びとに焼き付けるために人物埴輪群像は生み出されました。そしてこの華やかな造形品も、前方後円墳の終りとともに消滅していくのです。

(参考文献)

若狭徹「埴輪とは何か」『古墳時代ガイドブック』新泉社2013年