にわか考古学ファンの独り言(古墳時代)

 ムラ人の暮らしぶり

 前回ではムラの姿を概観しましたが、今回はムラ人の暮らしぶりをみてみたいと思うます。

 家のつくり

 彼らの基本的な住まいは半地下式の竪穴建物で、屋根はテント型の草葺き屋根でした。東日本で火災にあった建物を調査すると、二層の草葺き屋根のあいだに土が挟まっています。土は断熱材であり、保温性を高めて冬を乗り切ったのでしょう。こうした竪穴建物のほかに平地建物も多く保有され、なかには夏用の住まいもあったとみられます。

 厨房と食卓

 5世紀からムラには竈が導入されました。住居の壁際に作り付けた竈には甕が埋め込まれ、ここでお湯を沸かし、蒸器を載せて調理したのです。竈の奥の煙突から煙が排出され、生活環境も大きく改善されました。これとは別に屋外の竈もあり、焼き物などは屋外でおこなったのでしょう。「魏志倭人伝」によると、倭人は食事を「高坏に盛り付け、手づかみで食べた」といいます。高坏には木製や樹皮製もありますが、粘土を赤く焼き上げた土師器の高坏が多用されました。脚のない坏も多く出土し、個人毎の食器(銘々器)が発達したようです。5世紀以後は高級な須恵器が登場しますが、庶民への普及は少量にとどまりました。はかに、容器としては木製の刳物や曲物が用いられました。

 古墳時代人の姿

 この時代の成人男子の平均身長は人骨の計測から163㎝内外とされ、その容姿は埴輪から推定できます。男は長髪を脇で束ねた美豆良とよぶ髪型で、高位の者はお下げのように長く垂らし、飾り紐で縛りました。女倭アップした長髪を頭上で折りたたみ、リボンや竪櫛、鉢巻でまとめていました。ただし、指輪は儀礼用のドレスアップした姿を写しており、男女とも日常はもっと動きやすくしていたことでしょう。

 豪族は、男女ともおしゃれに着飾り、金ぴかの装身具や美しい玉を身に付け、左前で合わせた上衣に、男はズボン、女はスカート(裳)を合わせるツーピースの服装でした。プリーツスカートやパッチワークの衣装をまとった人物埴輪もみられます。布地は絹とみられ、金のスパンコールや鈴を付けたものもありました。太い帯を締め、巫女はタスキを掛け、ショールのような祭服をまとっています。

 庶民の衣装はよくわかっていませんが、下半身が省略された男女の埴輪は貫頭衣などワンピースをあらわしたのかもしれません。木綿は導入されておらず、麻など植物繊維で織った着物が主流でした。しかし、ムラの各世帯の長などを葬った群集積の出土品をみると、長やその家族の一部は、金メッキの耳飾りやガラス玉・勾玉を連ねた首飾りぐらいはもっていたようです。男は刀や弓矢も所持し、有事の際には兵として従軍したのでしょう。 

 埴輪の表現から、皮や繊維で編んだ履物があったようで、出土品には下駄も知られています。また、豪華な椅子をあらわした埴輪から、豪族が大陸の文化を取り入れて、儀礼などの際に、板を組み合わせた椅子を用いていたことが明らかです。

(参考文献)

若狭徹「古墳時代人の暮らしぶり」『古墳時代ガイドブック』新泉社2013年