にわか考古学ファンの独り言(縄文時代)

 縄文研究の行方について 

 マルクス主義唯物史観が強い影響力をもっていた戦後の考古学では、縄文時代の社会は採取経済段階の原始共同体(民族共同体)と規定されていました。石母田正は、縄文時代を「野蛮の後期」に位置づけ、縄文社会を呪術宗教に支配された血縁的氏族共同体と規定しています(石母田1962)。

 原始共同体という社会像は戦前の禰津正志の論考にその原型が認められています(禰津1935)禰津は、石器時代縄文時代)と金石併用時代(弥生時代)の経済と社会を対比し、縄文時代を狩猟漁撈による低い生産力と無階級・無資産の共同体の時代として描写している一方、弥生時代には大陸からの新技術の渡来を契機として、猟漁経済から農業生産へと生産様式が転換し、分業の発達とも相まって生産力が飛躍的に高まった結果、私有制と階級分化が始まったと論じています。

 藤間正大は、華麗で精巧な東北地方晩期の亀ヶ岡文化について、採取経済から抜け出しえないで停滞している社会の産物であり、必要以上の労働力を装飾的器物の製作に浪費したために結局、没落するしかなかった、との著しく偏った歴史的評価を下しています(藤間1951)。

 そして、農耕・牧畜をもたない縄文社会は、自然の再生産を上回る生産力の行使が不可能な採取経済の矛盾を、自力で克服できずに行き詰ります。この行き詰まりを打開するための生産手段として、稲作農耕が受容されたとしています(岡本19759)。

 縄文社会は本当に行き詰っていたのでしょうか。遺跡の発掘調査が大規模におこなわれるようになった1980年代以降、植物が豊富に残る低湿地遺跡の調査が行われるようになり、縄文観の見直しを迫るような新発見が次々ともたらされるようになると、行き詰まり説に対する疑問が生じてきました。縄文時代はたしかに農耕・牧畜なき特異な新石器時代でありましたが、縄文人の生活水準はそれなりに豊かで、日本列島の風土に適応し安定した文化を築いていました。行き詰まり説に代わって、そのような肯定的な評価が台頭してきました。縄文人の豊かさを他の誰よりも強調したのは小林達雄であります。縄文人の資源利用技術は高く、生産力は早期にすでに高いレベルに達して安定していたと小林はみています。インフルエンザの流行などの不可抗力によって危機的状況に陥ることはありましたが、自然と共生した持続可能な文化が成り立っていたと主張しています(小林達雄1994・1996)。小林は縄文農耕説には反対の立場であり、いくつかの植物栽培技術があったのは事実としても、自然のさまざまな資源を組み合わせて季節的に有効利用する点にこそ、縄文経済のすばらしさがあると論じています。

 縄文人の生活は食糧貯蔵や奢侈工芸品などに表れているように、余剰を生み出せるほどの豊かさであって、飢饉のような危機的状況は起こらなかったようです。もしそれが真実であるならば、縄文時代から弥生時代への転換はなぜ起こったのでしょうか。文化・社会の大転換を引き起こした歴史的要因があらためて問題となるのです。

 西日本に成立した弥生文化が、大陸系の稲作農耕文化を受容して形成された点は明白です。朝鮮半島と九州の間には直接的交流があり、渡来人集団がもたらした物質文化や技術が、弥生文化成立の歴史的契機になったことはたしかでありましょう。しかし、縄文時代から弥生時代への移行は、社会と経済の仕組み、さらに祭祀体系を根本的に変えるほどの大転換をともなっており、外来文化の伝播だけでは説明しきれない問題を含んでいます。

 縄文研究の立場から問題にしなければならないのは、むしろ縄文社会が外来の稲作文化を受容した能動的な理由、あるいは動機です。西日本における縄文時代終末期の様相は、大陸文化への一方的な迎合ではなかったと思われます。西日本の縄文社会は東日本系の縄文文化朝鮮半島の無文土器文化の双方から新たな文化要素を受容しながら、社会・文化を活性化していく長い歴史があり、その過程には文化的な葛藤もありました。初期農耕文化もまた、縄文系の植物栽培技術と朝鮮半島系の農耕技術が複合することにより成立したというのが、能動的な理由であると思われます。

 私が最後に結論として言いたいことは、縄文時代は決して厳しくつらい時代だったのではなく、縄文人は自然の一部に自らを組み込みながらも、人間らしい定住生活を満喫した時代であったと思います。そうでなければ、1万年以上農耕なしの文明を続けることは不可能だったはずです。

 日本列島の多種多様な生態系や世界に誇る豊かな自然環境は縄文時代につくられ、その植物を余すことなく利用して、自然に負担をかけることのない定住生活を実践した縄文人こそ、根源的な持続可能性(サスティナブル)を体現した民族であったと私は思います。

 このブログは今回をもって一応終了させていただきます。理由は、私の勉強不足とネタ切れです。短い間でしたが、私の稚拙で拙い文章に付き合ってもらいまして有難うございました。次回は弥生時代について書いてみたいと思っています。また興味があれば読んでもらえれば幸いです。