にわか考古学ファンの独り言(縄文時代)

 コラム①

 自然災害、コロナ禍、戦争について

 このブログの最初に、現代社会を覆っている三つの病巣として「自然災害、コロナ禍、戦争」があり、これらの病巣について縄文時代と対比させることに、何らかの解決策が見えてくるのではないかというような話をしましたが、今回はそのことについて私の考えを述べさせていただきたいと思います。

 まず、「自然災害」ですが、縄文時代にも自然災害はありましたし、大変大きな規模の災害もあったはずです。これを現代社会に置き換えてみると、これほど頻繫に災害は起こらなかったはずです。私に言わせれば、現代の豪雨や強風や積雪は徹頭徹尾人間の仕業だと思います。経済を最優先とした再開発や化石燃料の莫大な消費だけではありません。宅地開発や農耕のための土地利用も多くの地球の生態系の命を奪っています。これは、人間にとっては当然の権利といえますが、自然界にとっては略奪にほかなりません。このような状況が自然界に及ぼす影響は計り知れません。巷では、S D G s(持続可能な開発目標)などという言葉が流行っていますが、私に言わせればもう遅すぎます。その点、農耕にたよることなく自然と共存して生活してきた縄文人のほうが、まさしくS D G sを体現した民族であったと思います。縄文社会を決して美化するつもりはありませんが、もう一度人間と自然との関係を考え直す時期に来ていると思います。

 次に、コロナ禍を含む感染症についてですが、縄文時代にも伝染病はありましたが、その対応は簡単でした。それは、他の集落に伝染病が流行っていれば、その集落との交流を断ちました。自分たちの集落に感染者がいれば他の場所に隔離しました。医学の発達していない古代においては、伝染病への対策はそうした方法しかありませんでした。

 しかるに、現代社会ではコロナの流行が拡大しているにもかかわらず、経済最優先のため観光支援策(go too トラベル等)などを打ち出している始末です。この支援策も感染がまん延したため一旦は中断しましたが、コロナウイルスの弱体化?のために再び再開しました。高齢者を中心にまだ多くの死亡者が出ているにもかかわらずです。

 また、コロナ禍に対するビジネス上の施策として、テレワークや時差通勤も有効ですが、すべての労働者がこのような働き方をすることは不可能です。人間同士の交流なくしては成り立たない仕事、職種もたくさんあります。感染を減らすためにはどうしたらよいかを、もう一度考え直す必要があると思います。

 日本列島において縄文人の人口は、一番多い時期でも40万人程度だったといわれています。この300倍もの人口の中で暮らしているのが現在の日本人です。人との交流が密な現代社会にあっては、感染拡大のスピードが加速度的に早くなっており、感染者数も爆発的に増えています。ワクチンや特効薬の開発も急務ですが、生活のスタイルも変えていかなければならないと私は考えています。

 最後に、戦争についてですが、縄文時代においては植物採取や狩猟の縄張りをめぐって争いやいざこざはありましたが、殺し合いや戦争はありませんでした。なぜなら、厳しい自然の中で生きていくためには、狩りなどでお互いに協力しなければ、獲物を確保することができなかったからです。人間同士殺し合いを始めるようになるのは、稲作が始まり、田畑を守るために、あるいは略奪するために、お互いに戦い始めた弥生時代になってからです。

 1万年以上も存続した縄文時代は、厳しくも恵みの多い自然との共生ができたもっとも平和な時代だったのです。ひるがえって現代社会に目を落とすと、直近100年の間に戦争によって多くの人命が損なわれています。文明の発達が必ずしも平和に結びつくとは限りません。むしろ、人間同士の欲望の争いのため、果ては核戦争までささやかれる昨今です。このような状況を鑑みると、皆で協力して平和に暮らしていた縄文人の生き方を、もう一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。