にわか考古学ファンの独り言(古墳時代)

  古墳時代の概要

 「有史」という言葉を辞典で調べてみると、文字による記録が存在すること。または、文字資料の上で歴史認識の対象となっている時代に属することと、書かれています。 わが国において、古代(有史以前)というのは、人の最古のたしかな足跡が確認される旧石器時代から、古代古墳が築かれる5世紀までを中心とした、およそ4万年間の日本列島の人びと人びとと社会の歩みです。

 古墳時代の終りを5世紀までとする理由は簡単です。5世紀までは、残された文字記録(文献資料)の量や信憑性がまだ十分でなく、列島の歩みを復元するためには、物資資料(考古資料)に多くを頼らなければならないからです。6世紀に入ると、文字記録の量と信憑性がしだいに増していきます。もちろん、文字に書かれていないことを補い、記録の誤りやゆがみを見つけて正すために、それ以降になってもなお物質資料は大切です。しかし、物質資料は雄弁さの点で文字記録に遠く及ばないから、物質資料だけを用いて人びとや社会の動きを描きだす考古学の独壇場ともいえる時代は、日本の場合、だいたい5世紀までとみていいと思います。

 今回より、有史以前の最後の時代として古墳時代について書きたいと思います。

 古墳時代は、3世紀中ごろから6世紀末ごろまで、日本列島の中央部に栄えた文化です。同じころ、沖縄・南西諸島には貝塚後期文化が、北海道には続縄文文化が存在していました。南北に長く、気候が異なる日本列島には、三つの文化圏が並んで栄えていたのです。南と北の文化は狩猟・採取によって社会を維持していましたが、古墳文化はそれと異なり、農耕と手工業を組み合わせた生産社会を生み出しました。前身である弥生文化をベースとして、階層を発達させ、国家への道のりをたどっていった文化だったのです。

 考古学者は、古墳文化が続いた時間帯を古墳時代として括りますが、具体的には前方後円墳の出現と終りを目安としています。なぜ前方後円墳化といえば、それが単なる墓にとどまらず、政治や社会を維持するために大切な役割を果たしていたと考えられるからです。

 古墳時代の開始年代は、箸墓と同時期の古墳から出土した中国製の記念鏡(鋳造年号が記された鏡)の年代検討や、理化学的分析から得られた暦年代を合わせて推定しています。後者は、古墳出土の土器に付着したススやコゲの分析から年代を求める放射性炭素年代測定法(AMS法)と、遺跡出土樹木の年輪の計測から年代を定める年輪年代法を組み合わせて精度を高めています。このことから3世紀中ごろの年代観はほぼ動かないとみられます。

(参考文献)

松木武彦「はじめに」『列島創生記』小学館2007年

若狭徹 「古墳文化のプロローグ」『古墳時代ガイドブック』新泉社2013年